海外投資への逆風、全社で結論を出す

1990年代の初め、社長のニューヨーク出張に、秘書として何度も随行した。90年1月から始まったロックフェラーグループ社(RGI)の株式買い取りで、発行済み株式の80%を取得し、その契約調印や取締役会に出席するためだ。

三菱地所会長 木村惠司

RGIは、子会社とマンハッタンの中央にそびえる14棟からなるロックフェラーセンターを持つ。その買収は、バブルの膨張と円高で米国のビルやホテルなどを次々に買った「ジャパンマネー」の象徴、と言われた。だが、日本でバブルが崩壊していくのを追うように、平穏にみえていた米国の不動産市況にも、影が近づいていた。

RGIの取締役会では、何度も手を上げて、米国側の役員に問い質した。例えば、最近の賃料はどう動いているか、テナントとどんな交渉をしているのか、どのへんで落着させるつもりかなど。相手の報告はそういう点には触れず、ただ「やっています」だけで終えてしまうので、突っ込んだ。翌年の予算でも「これで、ご承認を願いたい」と言うだけだから、「これは、もうちょっと説明してほしい」「これには、ちょっと疑問に思っている」などとやった。

米国側は「こいつは誰だ? 何の権限で、発言しているのか?」と思い、後で聞くと、かなり怒っていたらしい。確かに、自分は取締役ではない。秘書として、社長の隣にいるだけだ。でも、社長は「経営はRGI側に任せる」との姿勢で、同時通訳の声を聴きながら、ドーンと構えている。もう少し相手の真意を探りたいと思い、ときどき社長に「何か言ってもいいですか」と聞く。すると、「やれ」のひと言が返ってきた。40代半ばは、そんなことが続く。