95年5月、RGIの子会社が、裁判所に米連邦破産法の適用を申請した。ビル14棟のうち、13億ドルの借り入れの担保にしていた12棟を渡し、翌96年3月期決算で巨額のRGI株の評価損を出す。
ニューヨークの不動産不況が、想定を超えて深刻化した。賃料収入が低迷し、金利上昇で借入金の利払いが膨らむ。しかも、当面は改善が見込めない。1年近く前から、社内は「破産法を適用すべきだ」「追加投資をして持ち続けよう」と、大議論となっていた。長い間、すべてがトップダウンで決まる企業文化だったが、日米で相次いで進んだバブルの崩壊が、それを覆す。関係する部門が集まって議論を重ねる形が、生まれた。
会議は社長抜きだから、秘書の自分も出ない。後に自分の前に社長になる役員が「早く撤退したほうがいい」と主張していた。同感で、参加していた若手に「きみも、こう言えよ」と指示する。何人かと、一つの答えに至るのを支えた。スポーツでは試合に出ている面々だけが、チームメンバーではない。会議に出ていなくてもチームの一員、のつもりだった。
破産申請は、日本もバブルがはじけて財務に余裕がなく、やむを得なかった。それに、手放す12棟は小さく、古いビルが多い。初の赤字決算になり、誰もが断腸の思いだったが、それをやらないと、次に踏み出せない。東京・丸の内の再開発も、ずっと遅れたかもしれない。残した高層ビル2棟からの利益で、10年間で投資額を回収し、買収から四半世紀のいま、海外事業の収益源だ。
みんなで出した結論は、正解だった。不動産投資のような事業には長期的な構えが要る、と学ぶ。もう一つ、あのとき、全社が初めて「一つのチーム」になった。大きな変化で、以来「アズ・ワン・チーム」(一つのチームとして)が、会社のキーワードとなる。