悩みや苦しみを和らげるために生まれた仏教。ビジネスマンの代表的な悩みである「時間」について、徳雄山建功寺の枡野俊明住職にお話をうかがった。

人間は怠け者ですから、楽なほうへ楽なほうへと流されてしまいます。いつまでも寝ていたい。お腹いっぱい食べたい。すると、人の役に立とうという生き方から、逆方向へ行ってしまうわけです。

箍(たが)の外れた生活を自由な生活と思いがちなのですが、そうではありません。私は4時半に起床しますが、規則正しい生活を続けることは健康の維持にも大事ですし、充実感も得られます。時間が正確に決められた生活というのは、刑務所の生活みたいと言われることもあるのですが、そうではないのです。

建功寺住職 枡野俊明氏●1953年、神奈川県生まれ。玉川大学農学部卒業後、大本山總持寺で修行。庭園デザイナーとしても評価が高い。多摩美術大学教授。

趙州禅師(じょうしゅうぜんじ)という唐代の有名な禅僧の言葉に<汝は十二時に使われ、老僧は十二時を使い得たり>という言葉があります。12時というのは24時間のことで、あなたは時間に振り回されていますが、私は時間を使い切っていますよ。つまり自分が主体となって生活することが大事なのです。誰かに命じられるのでなく、主体的に生活のパターンを決めて、なすべきことをこなし続ける。もちろん、それが負担になるときには融通無碍、フレキシブルに対応していいのです。

実際、なぜ時間が足りないかというと、あれこれ思い浮かべては妄想して、いつのまにか時間が過ぎていることが多いのではありませんか?

例えば、将来のことはそのときの状況で、対応がまったく変わるのに、こうなったらどうしようと想像すると、妄想が雪だるま式に膨らんでしまいます。同じように過去のことも、ああすればよかった、なんでそうしなかったのだろうと考えだすときりがない。過去は取り返せないのだから、失敗した原因だけをしっかりつかんで、あとはいっさい考えない。考えてもしょうがないのだから、今やるべきことに集中することです。えないというのは難しいです。

考えないというのは難しいです。坐禅は<無心(むしん)>とよく言われますが、まったく頭のなかにものごとが浮かんでいないかというと、そうでもないのです。空っぽになって心地よいときもあるのですが、それでも、頭に浮かんできてしまうものもある。それは留めない。留めると、どうしようかと考えてしまうので、浮かんだものを流す感覚です。

水面にできた波紋を、鏡のような水面に戻そうと、手で押さえると、新たな波紋を生じさせてしまいます。しかし、何もせずにそのまま放っておけば、自然と鏡のような水面に戻ります。「あ、邪念がきたな、もう放っとけ、放っとけ」と受け流しなさいということです。心が穏やかな状態だからこそ、集中して能力が出し切れる。これはスポーツでもビジネスでも同じことでしょう。