悩みや苦しみを和らげるために生まれた仏教。ビジネスマンの代表的な悩みである「お金」について、徳雄山建功寺の枡野俊明住職にお話をうかがった。

生活を営むにはお金が必要不可欠です。しかし、お金は本来、人の役に立ったことへの対価。株とか為替など、生産の実体が伴わない、数字だけでお金を稼ぐのは、人を怠け者にしてしまうでしょうね。

禅の喩えで、こんな話があります。2人の牛飼いがいて、1人の牛飼いは99頭牛を飼っている。はたから見ればとても裕福なのだけれど、この人は、あと1頭いれば100頭なのにとしか考えていない。もう1人の人は3頭しかいないけれど、それで家族を養い、心穏やかに暮らしている。すると99頭持っている牛飼いがやってきて、もう1頭いないと苦しいから譲ってくれと言うので、そんなに困っているのだったらと譲り、2頭になっても工夫して満足した生活を送る。一方、100頭を集めた牛飼いは、1日も早く105頭にしなくてはとまた悩む……。

建功寺住職 枡野俊明氏●1953年、神奈川県生まれ。玉川大学農学部卒業後、大本山總持寺で修行。庭園デザイナーとしても評価が高い。多摩美術大学教授。

執着には終わりがありません。お釈迦様が亡くなられる前に説かれた説法をまとめた『遺教経(ゆいきょうぎょう)』というお経に<知足(ちそく)>ということが説かれています。どんなに裕福な環境でも満足を知らなければ満たされない。地面に伏したような生活をしていても、これで充分だと感じることができれば、幸せを感じられると。

かといって、何でもかんでも、お金を使わずに安く済ませるというのも、生活のなかに豊かさがありません。倹約と質素は違うものです。例えば茶碗でも、奮発していいものを買って、愛着を持って大切に使う。大切にしながらも執着を持たない。するとやがて茶碗イコール自分になる。こちらのほうがより生活に豊かさを感じるのではないでしょうか。

お釈迦様も欲をゼロにしろとは言っていません。足ることを知れば心が穏やかでいられるということです。あっちの会社のほうが給料がいい。退職時の平均貯蓄はいくらなければ老後が不安だとか、飛び交う情報に惑わされ、他人と比較をするから、劣等感を生じ、不安を呼び、苦しみ悩んでしまうわけです

お金の使い方というのは、その人の生き様、価値観の表れです。モノもお金も貯め込むのではなく、必要なもの以外は手放す。

お賽銭はお金を放り投げますよね。お金を投げ捨てるのは行儀が悪いようにみえますが、そうではなく、あれは<喜捨(きしゃ)>といって、お賽銭を執着と見立て、これを断ち切って捨て去るという行為です。お金もモノも、人の役に立ちますようにと手放す。手放すのは気持ちのいいものです。そういう気持ちを持っていれば、いつか巡り巡って、何倍、いや何十倍にもなって返ってきます。