お金の価値を忘れ、社会常識を忘れた清原

一方、人気と年俸はうなぎ上りを続け、西武時代の推定年俸は最高2億5000万円。

超高級外車を乗り回した高級クラブに通うセレブスターは、お金の価値を忘れ、社会常識を忘れた。

私がよくいうように、監督は若い選手を実家の親から預かっている。野球の技術を教えるだけでなく、社会人としてりっぱに育てる責任がある。賞品の山に埋まって奔放に暮らす清原をなぜ、監督は教育・指導しなかったのか。人気と金におぼれる清原を甘やかしたオーナー以下フロント、現場首脳陣の責任は重い。

人気と大金を武器にチームの番長になった清原は1996年(平成8年)オフ、憧れの巨人にFA移籍する。1年目の年俸が、西武最終年の2億4000万円から3億6000万円に跳ね上がったのを見ると、いったんは阪神入りに傾いていた清原を、巨人が資金力でゲットしたことが分かる。

しかし、西武の看板スターで29歳になった清原を巨人首脳陣がコントロールするのは大変だったろう。清原をもてあましたコーチ陣は長嶋茂雄監督に「一時、2軍に落とすなどして、巨人軍の野球をしっかり教え込んだ方がいいのではないか」と提案したが、監督は「三顧の礼を尽くして来ていただいた大変な選手に、そんなことはできません」と拒否したという。

確かに、大金を投じて獲得したスター選手を戦列からはずすのは難しいかもしれない。だが2軍に落とすかどうかはともかく、巨人ナインに与える番長・清原の影響を考えると、早いうちにしっかり巨人の野球と常識を教え込む必要があった。

結局、清原は巨人で9年間プレーしたが、この間、薬(筋肉増強剤)や筋トレでサイボーグのような体に変身し、最後の2年間は出場試合数が激減。打率も2割2分台に落ちて2005年(平成17年)オフ、自由契約でオリックスに移った。

西武や巨人の監督・首脳陣がまっとうな指導と教育をしていたら、清原もいま、こんなことにはならなかったかもしれない。