2016年2月、清原和博が覚せい剤所持で逮捕された。彼は巨人に入団した桑田真澄投手とともにPL学園のスーパースターで、プロ野球でも西武黄金時代を支えた名選手だ。セパ両リーグで日本一に輝き、指導者としての手腕が高く評価された広岡達朗氏が「清原覚せい剤問題」を語る。広岡氏の著書『巨人への遺言』(幻冬舎)から抜粋する。

清原を責めるだけでいいか

2015年11月の野球賭博事件で激震が走ったプロ野球界が、今度は清原和博の逮捕で衝撃を受けた。2016年2月2日の逮捕容疑は覚せい剤所持(2月23日、使用で再逮捕)ので、スプリングキャンプを始めたばかりの監督や選手たちは「寂しい」「残念だ」と驚いたが、野球界は元スーパースターの転落を他人事のように眺めるだけでいいのか。

広岡達朗氏(写真=時事通信フォト)

清原転落の深層は、入団以来の現役時代にあると、私は思う。

清原がドラフト1位で西武ライオンズに入団したのは1985年(昭和60年)秋。私が西武の監督を辞めた直後だから、文字通りの入れ替わりだった。

あらためていうまでもなく、彼は巨人に入った桑田真澄投手とともにPL学園スーパースターだった。甲子園大会に5季連続で出場し、優勝2回、通算13本のホームランを打った。

西武でのプロ野球生活もデビュー戦の初ホームランで始まり、1年目から4番に座って打率.304、ホームラン31本を放って新人王になった。

西武の関係者によると、高校を卒業したばかりの清原の部屋は試合でもらった賞品で埋まり、訪ねてきた親がゴミ屋敷、いや賞品屋敷状態に驚いたという。

未成年のスターの鼻が天狗になるのに時間はかからなかった。清原の扱いにてこずり、将来を心配したコーチたちが森祇晶監督に「一度、社会常識などを厳しく教え込むべきではないか」と進言したが、森をこれを無視して放任したという。

それでも清原は、グラウンドでは主砲として活躍を続けた。11年間、ほとんどフル出場し、毎年20本台から30本台のホームランを打ち、西武黄金時代の8回のリーグ優勝と6回の日本一に貢献した。

この間、ベストナイン3回、ゴールデングラブ賞5回も獲得した。新人王以外のタイトルがなく、無冠の帝王といわれたのが不思議なくらいだ。