渡部の名を知らしめた最大の危機処理

80年代、米国の銀行は中南米債務危機の煽りを受け経営危機に瀕していた。バンク・オブ・アメリカ、ケミカル・バンク、JPモルガンなど名門と謳われた銀行が経営破綻寸前に追い込まれた。

半ば強制であったが、米政府が内々に日本の金融機関に対して支援を要請した。日本側の取りまとめ役は旧日本興業銀行元頭取、中山素平。その中山が証券業界のまとめ役を依頼したのは当時の野村証券社長、田渕節也だった。この極秘業務を遂行するうえで、田渕と当時の担当役員が相談して指名した部下が、海外業務部で引受企画課長だった渡部だったのだ。