「自分の名刺になる本を書こうと思いました」
カバーは顔写真。内容は自分史。彼女が話すように、自身の半生を綴った本はしばしば名刺にたとえられる。しかし本書に紙片一枚のような軽さはない。それは著者がかつてアーチャリーと呼ばれた、麻原彰晃の三女・松本麗華であるからだ。
地下鉄サリン事件当時は11歳。オウム真理教での階級は上から2番目の正大師だった。事件後は教団から離れ、アルバイトをしながら、大学で心理学を学んだ。事件から20年。なぜ本を書いたのか。
「これまで自分の内面を知られないことが唯一の防御だと考え、多くを語らずにいました。でも沈黙することでいろいろなことが『アーチャリーのせいだ』で片付けられてしまう。これまでずっと生きた気がしなくて、自分の人生を何も守れていなかった。それならば事件が風化する前に、自分の言葉で事実を伝えたいと思ったんです」
当初は仮名での執筆を考えていたが、弁護士から「また新たな虚像をつくるのではないか」と指摘され、本名と顔を公開することを決意。「読んでも意識がブロックして心に入らなかった」という被害者や遺族の手記、オウム批判本を開き、正対した。心をえぐられ、寝込む日々を繰り返すうち、教団の過誤を受け入れる気持ちが固まったという。
「書く前は父や教団について批判しないような気がしていた。でも振り返ると幼い人たちが集まった幼い組織で、欠点が見えてきました」
本書では社会との接点を失い、先鋭化していくオウムの変容が描かれる。「『共生すること』『他人の権利を脅かさないこと』が一番大切なのだというのが、20年間苦闘したわたしの結論」と総括する一方で、麻原の逮捕後は悲しみに明け暮れ、接見しても無反応の姿に絶望するなど、父親を慕う心情も隠さない。
「これまでは複雑な感情を複雑なまま抱えて、自分の中で無理をしている部分もあった。それが父の欠点を理解したことで、『それでもなお好きだよ』と一歩進めました」
「羨ましいんですよ。みなさんが普通に家族の話をするのが」と呟く彼女が肯定するのは、オウムの存在ではなく、普遍的な肉親への愛情である。本書は家族構成欄に父親の名前が記された、松本麗華の履歴書なのだろう。それは紙以上の重さを含んでいる。