比較1:真珠湾攻撃

アメリカ人をかつてないほど団結させた「ハラキリ・ギャンブル」

……中国と4年以上も苦しい戦争を繰り広げた日本の帝国主義者は、アメリカの強い要請で撤退することで面子を失うことを望まなかった。降伏か征服の継続かに直面し、彼らは戦いを選んだ。……日本政府がワシントンでの交渉を意図的に延長している間に、致命的な一撃が真珠湾を襲った。1941年12月7日「暗黒の日曜日」の午前中、空母から飛来した日本の爆撃機が警告なしに襲いかかった。ルーズベルトが議会で述べたように、その日は「恥辱の日として記憶される」こととなった。……ハワイにおける日本の「ハラキリ・ギャンブル」は短期的には成功した。……しかし奇襲攻撃は、かつてないほどアメリカを奮起させ、団結させた。(『アメリカン・ページェント』)

日本の首脳部は、アメリカの膝元を攻撃することを勧める山本五十六提督の計画を承認した。……しかし、山本自身は対米戦争の長期的見通しについて少しも楽観していなかった。山本は予言的に語った。「対米英戦争の初めの半年や1年は暴れ回り連戦連勝してみせます。しかし、2年、3年と長引いたら、最終的な勝利は確信できません」。

……警告も無く、日本の急降下爆撃機と雷撃機がハワイの透き通った青空を急襲し、……死と破壊の雨を降らせた。……日本軍は5隻の戦艦を含む19隻と188機の飛行機を破壊し、2300人以上のアメリカ人が殺された。これはアメリカ軍史上、外国軍に喫した最悪の敗北だった。(『アメリカン・オデッセイ』)

●日本の教科書では?
アメリカ側の提案(ハル=ノート)は……満州事変以前の状態への復帰を要求する最後通告に等しいものだったので、交渉は絶望的になった。12月1日の御前会議は対米交渉を不成功と判断し、米・英に対する開戦を最終的に決定した。12月8日、日本陸軍が英領マレー半島に奇襲上陸し、日本海軍がハワイ真珠湾を奇襲攻撃した。日本はアメリカ・イギリスに宣戦を布告し、第二次世界大戦の重要な一環をなす太平洋戦争が開始された。(『詳説日本史』)

どこが違う? なぜ違う?
「真珠湾攻撃については、はっきり『不意打ち』『裏切り行為』と表現しています。日本の攻撃は予期していたものの、ハワイではなく英領マラヤやアメリカ領フィリピンを想定していたというのがアメリカの見解です」(大島氏)。山本五十六の「名言」まで引用した『アメリカン・オデッセイ』の臨場感あふれる描写は、日本の教科書にはない特徴だ。
東洋哲学研究所研究員 大島京子
青山学院高等部、東洋英和女学院中高部、創価大学の非常勤講師等を経て現職。論文・著書に「日米比較──歴史教科書の中の原爆投下」(『平和研究』)、『世界の歴史教科書──11カ国の比較研究』(明石書店)
(田端広英=構成 遠藤素子=撮影(教科書))
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