戦後70年目の夏を迎え、太平洋戦争についての関心が例年以上に高まっている。かつての交戦国・日本とアメリカでは「あの戦争」をどのように語り継いでいるのか? 両国の高校歴史教科書を手がかりに検証してみたい。

※第1回はこちら(http://president.jp/articles/-/16088)

比較2:日系人強制収容

アメリカ人から良識と正義感を奪った。真珠湾攻撃後の「ヒステリー」

……第2次世界大戦は、多くのエスニック集団のアメリカ社会への同化を加速させた。……痛ましい例外が、太平洋岸に集住していた約11万人の日系アメリカ人の苦難だった。その約2/3はアメリカ生まれの米国市民であったにもかかわらず、日本の侵攻があった場合に工作員として働く可能性を恐れるワシントンの最高司令部は、力尽くで彼らを強制収容所に駆り集めた。……この厳しい予防措置は不要であり不公平でもあった。しかし、西海岸における反日偏見の長い歴史に裏打ちされた真珠湾攻撃後のヒステリーの波は、多くのアメリカ人から一時的に良識と正義感を奪った。

1942年3月30日、ワシントン州ベインブリッジ島の自宅から連行される日系アメリカ人抑留者。規制に従って、手で運べる荷物だけを持っている。武装した護送者はこの移住の性質について何を示唆しているのでしょうか?」(『アメリカン・オデッセイ』)(写真=AFLO)

抑留キャンプはこれらの家を追われたアメリカ人から尊厳と基本的人権を奪い、抑留者はまた数百万ドルの財産と得るべき利益を失った。戦時中の最高裁は1944年の「コレマツ対米国裁判」で日本人の強制退去の合憲性を支持した。しかし、40年以上後の1988年、アメリカ政府は公式にその政策について謝罪し、収容所の生存者に2万ドルの賠償金の支払いを認めた。(『アメリカン・ページェント』)

●日本の教科書では?
……アメリカの世論は「リメンバー=パールハーバー」(真珠湾を忘れるな)との標語のもとに一致し、日本に対する激しい敵愾心に火がついた形となった。カリフォルニア州をはじめ、西海岸諸州に住む12万313人の日系アメリカ人が各地の強制収容所に収容されたが、ドイツ系、イタリア系のアメリカ人に対しては、こうした措置はとられなかった。アメリカ政府は、1988年になって、収容者に対する謝罪と補償をおこなった。(『詳説日本史』)

どこが違う? なぜ違う?
「1988年にアメリカ政府が公式に謝罪して以降、戦時下の人権抑圧の問題として、日系人部隊の献身とあわせて、ほとんどの教科書で掲載するようになっています。日本の教科書でも脚注で触れていますが、日本史の観点からはあくまで外国の出来事。自由と民主主義の国を任ずるアメリカにとって、日系人強制収容は国内史の汚点として意識されています」(大島氏)