「日本軍」の決断から未来への教訓を問う

先の太平洋戦争で日本はなぜ負けたのか。5人の共同研究者とともに、『失敗の本質 日本軍の組織論的研究』を上梓して31年。今なお読み継がれているのは、戦史を経営学の視点から分析し、負けた要因の理論化が試みられているからだろう。

歴史は無数の出来事が絡まる複雑系の世界である。そのため、歴史研究の基本は多様な現実をありのままに列挙する。一方、われわれは多様な現実の中に共通パターンを見出し、因果関係を解明しようとした。

野中郁次郎 一橋大学名誉教授

失敗の因果が理論化されれば、読者も自身の経験や属する組織の現実、さらには国の現状と照らし合わせ、個別具体の出来事の意味合いを普遍化して、教訓を導き出せる。また読み返すたびに、そのときの状況に応じて、新たな教訓を読み取ることもできる。そこに、読み続けられる理由があるのではないだろうか。

実際、われわれが理論化を思い立った動機もそこにあった。日本軍の組織における人間の決断と行動の仕方から、失敗の本質を抽出し、「もっと賢い戦い方はできなかったのか」との問いに対する、未来に向けた教訓を見出したいと考えた。

より効果的な教訓を得るため、われわれは研究対象として、戦争のターニングポイント(分岐点)となった作戦を選択した。「ミッドウェー作戦」と「ガダルカナル作戦」は、それぞれ海戦と陸戦のターニングポイントだった。それまで順調に軍事行動を進めてきた日本は、2つの失敗を転機として敗北への道を下り始める。インド北東部攻略を目指した「インパール作戦」の失敗は東南アジアにおける最重要拠点、ビルマ防衛の破綻を招いた。また、フィリピンのレイテ島に上陸しつつあった米軍撃滅のために海軍が総力を結集して戦った「レイテ海戦」の失敗により、戦闘艦隊は以降存在しなくなる。そして、「沖縄戦」は太平洋戦争で最大規模で最後の戦いとなった。

なぜ、日本は負け、米国は勝つことができたのか。浮かび上がった違いは、共同体としての軍のあり方だった。日本軍では集団主義的な価値観が優先したため、凝縮性が高く、平時であれば安定的な力を発揮した。しかし、凝縮性の高い組織は負の側面が現れると同質化が進み、内向きになる。戦争開始時、日本軍は「閉じられた共同体」と化していた。陸軍も、海軍も内向きに閉じ、派閥化する。戦争という不確実性の高い状況に適応するには、開かれた対話による多様な「知の総合力」が不可欠だが、閉じられた共同体にそれを生み出すことはできなかった。

その結果、戦略目的と作戦との整合性の欠如という決定的な欠陥を生むことになる。典型が真珠湾奇襲作戦だった。太平洋戦争はもともと自存自衛のための防御的な性質が強かった。陸軍はソ連の侵攻を想定。海軍もハワイ基地から襲来する米国艦隊を潜水艦などで迎え撃ちながら、最後は小笠原諸島周辺で艦隊決戦により雌雄を決するという「漸減邀撃戦」が基本戦略だった。