実践者と理論家の両者が互いに強化しあい、共に取り込まれるという最適なバランスがある。筆者はスーパー発展の歴史からその点を解き明かす。

完璧と思われる「理論」。そして、その理論を体現し、それこそ天下無敵に思われる「実践」。それが、時間の経過とともにその輝きを失う。「理論」といわれると、私たちはつい、普遍的に正しいと思い込んでしまう。だが、物理や化学などの自然科学の理論はともかく、われわれが生きている社会の理論となると、そうではない。社会の理論がいかに完璧に見えたとしても、時間がたつと相対化される。「これでしかない」と思ったことが、思い込みにすぎなかったことがわかってくる。そして、それは必ず起こる。

流通革命のカギ“だしじゃこ”No.1

半世紀前、わが国で、いわゆる「流通革命」が起こった。今では、私たちの生活に欠かせない存在となっているチェーンの小売業が、日本に本格的に誕生し、そして発展した。その旗手となったのはダイエーだが、同社の誕生は1957年。それが、72年には当時日本一の売り上げを誇っていた百貨店の三越を上回り、小売業として売上高日本一になった。創業以来わずか15年で、ここまで成長した企業はメーカーを含めてもほかに例を見ない。主として日々の生活必需品を扱うそのダイエーの旗印は、「よい品をどんどん安く」であった。それまで、生活必需品を商店街や小売市場で購入していた生活者には信じられないほどの低価格が付けられていた。その当時日本の社会が、どれだけそうしたビジネスを待ち望んでいたことか。そのことは、ダイエーばかりでなく、同じような旗印を掲げて西友やジャスコなどのチェーン小売企業が続いたことからもわかるというものだ。

ダイエー創業者の中内功氏は「“だしじゃこ”No.1」を強調した。「(百貨店のように)スカートや“だしじゃこ”を合わせて売り上げNo.1では意味がない。“だしじゃこ”単品でNo.1にならないといけない」というわけだ。そうした行動原則の背景には、小売りチェーン理論がどっしりと控えていた。小売りチェーン理論の核心は、大量仕入れによるコスト上のメリット(規模の経済性+強い交渉力)を最大限発揮させる点にある。そのために、いくつかの重要で組織的な工夫があった。