比較3:原爆投下・終戦

原子爆弾のきのこ雲のなかで歴史上最も悲惨な戦争は終わった

1945年7月、……(ポツダム)会議の出席者たちは、日本に対して「降伏か、さもなくば破滅か」という、断固とした最後通告を出すべく話し合った。……アメリカは途方もない奥の手を持っていた。……1945年7月16日、ニューメキシコ州アラモゴード近くの砂漠で、専門家たちは最初の恐るべき原子装置を爆発させた。日本はまだ降伏を拒否しており、……1945年8月6日、アメリカの爆撃機は、日本の都市・広島に原子爆弾を投下した。目のくらむような死の閃光のなか、煙突状の雲が現れ、約18万の人びとが死亡、負傷し、行方不明となった。……原爆による破壊に直面しているにもかかわらず、狂信的に抵抗する日本人はまだ降伏しなかった。8月9日、アメリカは長崎に第2の原子爆弾を投下した。この爆弾は、8万人もの人が亡くなるか、行方不明になるという酷い犠牲をもたらした。

日本は、もはやこれ以上、もちこたえることはできなかった。8月10日、日本政府は講和を求めた。その条件は、眼鏡をかけた神の子ヒロヒトが、名だけの天皇として世襲皇位にとどまることが認められるというものだった。8月14日、連合国は「無条件降伏」の方針だったにもかかわらず、この条件を受け入れた。日本は、面子は失ったものの、地位の高い支配者と自分たちの国土を残すことはできた。1945年9月2日、劇的な力によって戦争は正式に終結した。……原子爆弾のきのこ雲のなかで、歴史上最も悲惨な戦争は終わり、同時にアメリカ国民は、異常な興奮のなか、ビクトリー・ジャパン・デーを祝った。(『アメリカン・ページェント』)

●日本の教科書では?
……ポツダム宣言に対して、「黙殺する」と評した日本政府の対応を拒絶と理解したアメリカは、人類史上はじめて製造した2発の原子爆弾を8月6日広島に、8月9日長崎に投下した。……陸軍はなおも本土決戦を主張したが、昭和天皇のいわゆる「聖断」によりポツダム宣言受諾が決定され、……8月15日正午、天皇のラジオ放送で戦争終結が全国民に発表された。9月2日、東京湾内のアメリカ戦艦ミズーリ号上で日本政府および軍代表が降伏文書に署名して、4年にわたった太平洋戦争は終了した。(『詳説日本史』)

どこが違う? なぜ違う?
「ほとんどの教科書でマンハッタン計画(原爆開発計画)の詳細が書かれています。犠牲者数が不正確で少なめに記載される傾向がありますが、投下直後の広島・長崎の状況も書かれています。1977年の被爆問題国際シンポジウムで確定され、その後国連等で採用している1945年までの推定死没者数は、広島で約14万人、長崎で約7万人(ともに誤差約1万人)です」(大島氏)