そうした自民党でも、民主党への交代期には、人材の不足感があった。ましてや、実戦機会の少ない民主党では、さらに努力が必要だった。

さらにまた新たな常識が再認識された面もある。例えば、日本人のモラルの高さ。主に東北地方の方々がきちんと整列して炊き出しを待っている映像などを見た外国メディアの反応からである。

米ニューヨークタイムズ紙は、「日本の混乱の中 避難所に秩序と礼節」と題する記事(11年3月26日付)の中で、「混乱の中での秩序と礼節、悲劇に直面しても冷静さと自己犠牲の気持ちを失わない、静かな勇敢さ、これらはまるで日本人の国民性に織り込まれている特性のようだ」と評し、またそのことに多くの日本人が感動し、意識を高揚させた。

05年夏に米国ルイジアナ州ニューオリンズを襲ったハリケーン、カトリーナ後にテレビの画面で多くの混乱を見て、多くの人は日本ではこうしたことは起きないだろうと感じていたときのなんとなくの意識が明確化したようである。

また、現在議論が多い「強い現場」と「リーダーシップのとれないリーダー」との対比である。前回のプレジデント誌コラムでも少しふれたが、機動的に動きはじめた現場と、現場にきちんとした方向性を示せないトップの図式である。

特にローソンやヤマト運輸などの、分散型経営を行うサービス業での、被災した現場での自律的な営業再開が注目を浴びている。また、東京ディズニーリゾートにおける地震時のキャスト(パーク内で接客するアルバイトスタッフ)による対応も注目されている。多くのメディアが、上司からの指示がなくても、顧客の安全を配慮しつつ、最後まで慌てなかった姿を報告している。

私に言わせれば、この3社に限らず、多くの企業で平時の強いリーダーシップがあったからこそ、危機対応ができたのだと思うが、リーダーシップの部分はあまり注目されず、逆に「現場の強い日本」論が常識化しはじめている。