現実に追われる日々を送る妻
気持ちの整理がついたかのように思えた妻ですが、青天の霹靂のような現実を突きつけられたからこそ、かえって、いつまでも落ち込んでいる暇はなかったのです。
当時、妻は会社に勤めていたため、乳がんによる右手の痺れを感じながらも、平日は必至になって仕事をこなさなければなりませんでした。自宅で仕事をしている私は、もちろん極力家事を手伝いましたが、それでも妻でなければわからないことがあったのです。これらの家事は、妻が帰宅してからしてくれました。
家事以外にも、妻にはいろいろとしなければならないことがあって大変だったのですが、こなせないことへの焦りが、かえって原動力となっていました。後で聞いてわかったことですが、このとき妻は、自分の葬儀の段取りまで考えていたのです。
待ってはくれない日常に追われながら、妻は乳がんに関する情報をインターネットや本で調べていました。この間、抗がん剤治療に耐えうる身体かどうかを調べるため、骨シンチやMRI、心エコーなどの検査も受けていたのです。
「抗がん剤治療を受ければ、命の心配はしなくていいのですか?」
妻のこの質問に対し、主治医は「大丈夫」と答えてくれましたが、いつまで大丈夫なのか、1年後はどうなのか、という不安がすぐに妻を襲いました。それでも主治医の言葉を信じ、抗がん剤治療が唯一の前向きな治療と思うしかなかったのです。
検査の結果、妻の身体が抗がん剤治療に耐えうることがわかりましたが、がんが小さくなる確率は80~90%とのこと。高い確率ですが、5人に1人ぐらいは思ったような効果がないのです。死に至る病だけに、これでは不安を拭うことができませんでした。
妻の場合、がんのしこりが3つもあり、大きいもので5×3センチもあったので、3週間に1回の割合で抗がん剤治療を半年間受け、縮小させてからでないと手術ができない状態でした。
たとえ抗がん剤が効いたとしても、副作用は人それぞれです。痩せ細って寝たきりになるのか、いろんな病気に感染しやすくなるのか、脱毛による頭皮のトラブルはどうなるのかなど、考えたらきりがなく、どのような苦しみが襲いかかってくるのかは、身を以って知るまで、わからないことへの恐怖が大きかったのです。
抗がん剤治療に備えて、妻は美容院に行きました。抜け毛によるショックを少しでもやわらげるため、髪の毛を短くすることにしたのです。肩甲骨のあたりまであった髪をボブにした妻は、ちょっとはずかしそうでした。なかなか似合っているな、と思いましたが、そんな平和ボケみたいなことを思っている場合ではありません。その先には、驚愕のイメチェンが待っているのです。
抗がん剤治療が始まり、治療後は怠さを感じていたものの、妻の副作用は思っていたほどひどくありませんでした。1週間経っても髪の毛が抜けなかったのですが、看護師から「そのまま生えているとは、思わないほうがいいですよ」といわれ、改めて妻が大変な治療を受けていることを感じました。
がんを攻撃しながらも、確実に身体も蝕んでいく抗がん剤……。そのことがわかっていながらも、ただただ抗がん剤治療に望みを賭けるしかありません。どこまでもつきまとう不安を振り切るかのように、妻は前進し続けるしかなかったのです。
落ち込み過ぎても、抜け出す方法がわかっていれば、抜け出せる――。
これは後になって、妻がピンクリボン運動(乳がんの正しい知識を広め、乳がん検診の早期受診を推進することなどを目的として行われる世界規模の啓発キャンペーン)の会に参加したときに聞いた言葉です。この頃、この言葉を知っていれば、変な話ですが、どれだけ安心して落ち込むことができただろうか、と妻はいっていました。それほど落ち込むことが多いにも関わらず、待ってはくれない日々に追われていたのです。