親しい友人にも話せないがんの話

がんの宣告を受けた妻は、病気のことを親しい知人に話せないでいました。それでも私は、親しい知人数人と娘の小学校の担任の先生には病気のことを話すよう妻に勧めました。病気のことで家族には話せないこと、話したくないことを聞いてもらいたいときも少なくないだろう、と思ったのです。

話さないことで、支障を来すことも出てくるように思えました。

たとえば、娘の学校では、保護者会や委員会などの活動で、親が参加しなければならないことが少なくありません。役員によっては、年に何度も学校に行かなければならないのです。妻はできるだけ参加したいといっていましたが、体調によっては急に休むことになります。そのことを理解してもらうには、少なくとも娘の担任の先生に病気のことを話しておいたほうがいいように思えました。

貧乏暇なしとはいうものの、私は自宅で仕事をしているので、会社に勤めている人と比べて時間の調整がつけやすいといえます。ですから、私がサポートすれば、問題は解決するのかもしれませんが、学校の活動に極力参加したくなかったのです。とにかく治療費や生活費を稼がなければならないという焦りで頭のなかがいっぱいで、家事は仕方がないとしても、娘の学校の活動に参加する心の余裕はありませんでした。

このほか、平日の昼間に学校に行くのは、いくらか抵抗がありました。最近では、主夫がめずらしくなくなったといわれていますが、とてもそうは思えなかったのです。実際、娘が通う小学校の平日の活動に参加してみると、父親は私を含め、クラスに1人か2人です。そのため、周りの母親たちから「働いていないの?」と白い目で見られているように思えてなりませんでした。

それでもひと月半に1度回ってくる交通安全のための朝の旗持ちは私がしていますが、会社へと向かう多くの人たちに見られながら交差点で旗を持って立っていると、なんだか情けなくなってくるのです。自分だけが世間から取り残されているような気持ちになってしまうのです。30分ほどの活動なのですが倍ほどの時間に感じられ、私はこんな所で何をしているのだろうか、と思ってしまうのです。

小学校低学年の男の子に「どうしてパパなのに旗持ちをしているの?」と聞かれたことが何度かありましたが、「どうしてだろうね」と穏やかな声で答えながらも、いつも自嘲の笑みを浮かべていました。情けないことに、小学校低学年の男の子の素朴な疑問にも捻くれてしまうくらい、精神的な余裕がなかったのです。

これは、平日の朝から父親が交通安全の旗持ちをするなんてはずかしい、という私の偏見が原因ですが、仕事や家事で忙しいというのに、どうしてこんなことをしなければならないのか? と不条理にさえ思えてしまうのです。私のように家庭が大変な保護者は、学校の活動が免除されてもいいのではないか、と思えて仕方がなくなるのです。

それでも妻は、娘の担任の先生に病気のことを話せないでいました。治療を受けても近い将来死ぬという思いに囚われていたからです。結局、親しい知人には話したのですが、これは自分が死んだときに娘の力になってくれるかもしれない、という想いからでした。ここまで追い詰められていたというのに、「うっかり話してしまった」と妻は親しい知人に話してしまったことを後悔していました。話が重すぎるため、相手が親身になって聞いてくれるとはいうものの、どういう反応をしたらいいのか困っていたからです。そのため、かえって病気のことは話せない、という思いを強める結果となりました。

これは無理のないことのように思えました。夫の私でも妻を励ますのは難しく、どのような言葉をかければいいのか、わからないことが多かったのです。