「黒のbBは、ありますか」
その若者が石巻店に現れたのは、4月に入ってからだった。中古車の値段は、このころ跳ね上がっていた。新車は部品の調達ができず、生産計画が立たない状況だった。このため、中古車需要は一気に膨らみ、オークションでの取引価格を引き上げたのである。
若者は小幡に、「何年式でも、走行距離が何万キロだろうと、かまわない。ただし、お金がありません。40万円しか……」と切なそうに話した。
手持ちの中古bBは、70万円していた。そこで小幡は、ダイハツの「クー」を紹介する。中身は同じで、ブランドが違うだけだ。「トヨタbBより安くできる」と言い添える。
だが、若者はどうしても、黒のbBでなければならないのだと主張した。
「何か、あるのかい」
小幡の問いに、若者は話し始めた。
黒のbBは、若者のフィアンセが乗っていた車種だった。3月11日の午後3時過ぎ、彼女は石巻市郊外を運転していて、そこを津波が襲ったのである。黒い壁は、容赦がなかった。
何日かが経過して、まずは彼女が見つかる。黒のbBはさらに数日してから、発見された。彼女がいた場所と、そう遠くはない海に近い場所で。
「彼女は、最期のときまで、僕との将来を信じていた。だから、車を捨てて、生きようとしたのです。なのに、僕は何もしてあげられなかった」
悲しみに突き落とされたのもつかの間、追い打ちをかけるように若者の会社は倒産してしまい、彼は職を失った。
「40万円は、僕の全財産なんです」。結婚のために貯めていたのだそうだ。
「いまの僕には、彼女の思い出しかないのです。お願いです、黒のbBを40万円で売ってください」