若松自動車商会の石巻店は、国道45号線沿いのやや高台にあるため、津波の難を逃れていた。
本当は翌12日に、近くのスーパーの大きな駐車場を借りて中古車の展示フェアを開く予定だった。このため、営業統括である小幡淳が本店から派遣されてきていた。
もちろん、展示会は中止になった。だが、津波から逃れた人たちが、自然と店に集まってきた。午後10時には、総勢で30人にもなった。津波により川の堤防が決壊したのと、満ち潮の関係で国道45号線は冠水し、水かさは増していた。
停電したので、店には暖房がない。雪のちらつく寒さの厳しい夜だった。小幡たちはガソリンが入っている展示車両を駐車場の中央に並べた。集まった人たち全員を車に乗せる。各車、定員一杯にである。エンジンをかけて暖房をつけ、一晩を車中で過ごしてもらったのだ。「これしか方法はなかったのです」と小幡は振り返る。
翌12日、30人を帰すやいなや、客が次々とやってきた。車を流された人ばかりだった。小幡は言う。「被災しながらも仕事に出なければならない人、家族の安否確認がしたいという人、誰もがすぐに車を必要としていました」。
市町村への届け出だけですぐに乗ることができる軽自動車の中古は、飛ぶように売れていった。小幡たち営業マンは、電卓やバッテリーが残っていたノートPCを使って見積もりを出し、素早く売りさばいていった。
整備をするサービス担当と喧嘩もした。中古車の値段が高騰していて値引きできない分、せめて整備はいつも以上にと小幡は思った。しかし、整備の現場はあまりに忙しかった。「そんなの、間に合うわけねぇべや」と突き返される。しかし、今日の足が欲しくてやってくる顧客と接している小幡は譲るわけにいかない。
「そんな甘えたこと言ってる場合か。できねぇんだったら夜中でもやれ! おまえたち、ちゃんと帰って寝てっぺ。避難所の人たちは、そんな状態じゃねぇんだ」
緊急対応で仲間の絆が深まるというような美談はそこにはなかった。皆、目の前のことをできうる限りやる。それしかなかったのだ。