伝説の一期生は廃れゆく炭鉱町の未来を渾身の力で切り開いた。そしていま、「第二の復興」に向けて後輩たちが立ち上がる。
1966年1月――。石炭から石油へのエネルギー革命が進行し、全国の炭鉱が閉山に追い込まれる中で、常磐炭鉱の関連事業として誕生したのが常磐ハワイアンセンターだ。主力事業が消滅する前になんとか雇用を確保しようと、炭鉱会社が最後の力を振り絞ってつくりあげた希望の砦だった。
集客の目玉はフラダンスショー。ダンスチームは一期生18人のうち大半が炭鉱関係者の娘という素人集団だったが、彼女らは厳しいレッスンと周囲からの偏見に耐え、衰退する炭鉱町に観光という新しい産業の芽を植えつけた。最大の功労者が早川さんだ。
開業直前の全国キャラバンでは、東北地方のほか首都圏各地へバスで乗りつけ、何もかも不自由な舞台で情熱的なダンスを披露した。今回の全国きずなキャラバンは、それ以来46年ぶりの地方巡業である。
むろん早川さんは46年前のキャラバンを引率し、一切の指導を行っている。それだけに今回のキャラバンには、いささかの不安もあったという。
こう振り返る。
「一期生のみんなは、ふだん礼儀正しくて控えめなのに、いったん舞台へ上がったらものすごいパワーで観る者を圧倒しました。そして、何があってもビクともしない強靭な精神力を持っていましたね」
だが、それに比べると平成のフラガールたちは「温室育ちで、お嬢さんばかり。最初から舞台は用意されているし、どこへ行くにも会社の人間が荷物を持ってくれる。正直、ステージにおいてあと一つ、何か足りないという思いがしていました」(早川さん)。
だから早川さんは、ときに前触れもなくハワイアンズの客席に現れ、観客の反応によっては曲目や配役の変更を告げる。「この世界は厳しいということを知ってもらうため」(同)である。それによって、不足している「何か」に気づかせようとしているのだ。