13日朝5時、仙台店に緊急物資を満載したトラックが横付けされた。それを見た人々が列をつくりはじめた。
ダイエーが営業を再開する――。告知していなかったが、口コミやツイッターで広がっていった。午前9時半の開店前に1000人が列をなした。
予想以上の行列。通行人に迷惑がかかる恐れがあった。店長の芝村は客を誘導して列をつくり直した。仙台では正月の初売りで開店前から行列ができる。どの方向に列をつくれば、通行人に迷惑がかからないか。芝村は、シミュレーションをしていたという。
さらに新たな「障害」が立ちはだかる。当初、芝村は、地下2階から5階までのフロアで営業を再開しようと考えていた。だが、12日夜に電気が復旧していたのにエレベーターとエスカレーターが稼働しなかったのだ。開店間際まで修理を続けたが、動く気配はなかった。開放するフロアを地下2階から1階に限定するしかなかった。
「何もかも、その場で判断していった。役に立ったのは経験則でした」
1999年、台風5号による大雨で高知の店舗が孤立した。芝村は岡山店の店長として、応援の指揮を執った。また2001年の芸予地震では、広島店の店長として、被害の大きかった松山店をサポートした。
「基本となるマニュアルが重要なのは当然ですが、対応できないことも出てくる。そこを補うのは、やはり蓄積してきた経験則だと感じました」
混雑すると客の安全確保が難しくなる。レジ前での行列も避けたかった。芝村は、入店者数を400~500人で区切り、レジの処理能力と客の動きを観察した。一度に入れる客は、100人。買い物の時間は、ひとり10分。
「経験則」が導き出した数字だった。
翌日、さらに行列は延びた。午前11時には4500人が列をなした。この日の仙台の最低気温は、2.3度。待ち時間は、3時間から4時間。苦情はひとつも出なかった。それどころか、ダイエー仙台店には、感謝の声が数多く寄せられていた。“仙台市内でどこの店よりも早く必要なものを揃えて開店し、お店の人の対応も素晴らしかったです”“非常時にもかかわらず、久しぶりにゆとりを感じる買い物となりました”……。
「お客さまのありがたさ」がパート従業員の小林千寿子の身にしみた。レジを打っていると、多くの客が声をかけてくれる。「ダイエーさんのおかげで命拾いした人、何人もいるんだよ」「あなたのところは大丈夫だったの、体に気をつけてね」……。
「私たちが励まされている」と小林は感じた。涙が溢れた。小林は実家を津波で流された。両親を喪った同僚もいた。従業員も被災しているのである。
4月6日、仙台店は通常営業に戻った。営業再開からの1カ月間で、ダイエーを利用した客はのべ人数にして、約100万人にのぼった。
「正直、小売業がライフラインだと聞いてもピンとこなかった」と思っていた小林だがいまは違う。これからも小売業者としての役割を果たしながら、お客さまに恩返ししていきたい――。
小林の裡(うち)に芽生えた思いは、色あせるどころか、日に日に強くなっていた。(文中敬称略)
※すべて雑誌掲載当時