吉永社長は強運の持ち主なのか?

筆者は1980年代後半の田島敏弘社長以降、歴代社長のこの種の会見に出席しているが、経営陣の顔から笑顔が出るということはなかった。なにしろ、同社の業績は赤字か、かろうじて黒字を確保する程度で、いつも経営陣は眉間にしわを寄せていた。

2014年8月、東京・恵比寿に完成した新本社ビル。

文字通り、吉永社長の時代になってその流れが大きく変わったわけだ。それは、同社の株価を見れば一目瞭然だろう。社長に就任した2012年6月末当時の株価は637円だったが、14年12月にはなんと4617円をつけた。長い間ずっと3ケタで自動車メーカーの中で低位だった株価が急上昇して、日産自動車、ダイハツ工業、スズキ、ホンダをごぼう抜き、トヨタに次ぐ2位にまでなってしまったのだ。

「吉永社長は非常に運を持った社長で、ツキにツキまくっていると言っていいかもしれない」とはある業界関係者。

その端的な例と言えるのが、中国進出の件だ。富士重工は2000年後半から中国での現地生産を模索し、相手国政府に働きかけを行っていた。しかし、なかなか認可が下りずに吉永社長時代に入った。結局、その認可は下りなかったが、米国の販売が好調になり、重点を米国に置くことにした。

「もしあのときに認可が下りて、中国に工場を建てていたら、今頃大変なことになっていたかもしれない。その後の日中関係で、進出した日系メーカーはどこも苦労していますからね」と財務担当の高橋充取締役専務執行役員は打ち明ける。

その他、吉永社長時代になって、好転した事例がいくつかあり、その吉永社長を後継者に選んだ森郁夫前社長は最後に最高の仕事をやってのけたと言えるかもしれない。