『ゴッドファーザー』と『仁義なき戦い』

写真提供=東宝

日本の任侠映画、ギャング映画が変わったのは1972年のことだろう。同年、フランシス・フォード・コッポラが監督した『ゴッドファーザー』が大ヒットし、日本の映画関係者は少なからぬショックを受けた。マフィアの抗争を克明に描き、家族愛も表現した『ゴッドファーザー』に比べて、様式的な任侠映画、無国籍なギャング映画はあまりにもリアリティがなかったからだ。

もっと言えば、『ゴッドファーザー』に出てくるキャラクターはギャングではあったけれど、親、兄弟、子どものために働く顔を持っていた。目鼻立ちがくっきりしていたのである。一方、任侠映画、ギャング映画に出てくるキャラクターは単純、類型的で人間味が感じられなかった。

『ゴッドファーザー』に触発された東映は『仁義なき戦い』(1973年 東映)を製作した。そして、高倉健は降旗康男監督、倉本聰脚本で『冬の華』を作った。どちらもそれまでの任侠映画とはまったく違う、リアルなものだった。

また、高倉健は同作に続く『ゴッドファーザー パート2』(1974年)を見て、ひとりの俳優に魅力を感じた。それがロバート・デ・ニーロ。以来、高倉はデ・ニーロのファンになった。そして、私生活でも交流するようになったし、デ・ニーロが出資したレストラン「NOBU」の経営者、松久信幸とも親しくなった。

ロバート・デ・ニーロは高倉健にとって、同年輩のもっとも気になる俳優と言える。