美容販売員としてトップセールスに

あきゅらいずでは食事も美肌を保つ基本と考え、薬膳応用研究所を作り、体質や季節に合わせたレシピの研究も行っている。

洗顔石けん「泡石」、パック「優すくらぶ」、保湿クリーム「秀くりーむ」の基本3点。

コールセンターでは顧客からの相談に応えて、レシピを送ることもある。ある担当者は、電話の背後に子供の声がすることに気づき、何も言われないのに子供向けのレシピも同封して喜ばれた。商品を送るときは、折り紙や手書きの一筆を添えることも当たり前に行われている。

こうした対応はなかなか口で言ってわかるものではなく、マニュアル通りにはいかないだろう。従業員が自発的に「利く」ことができるようになるまでには時間がかかり、南沢も試行錯誤を繰り返してきた。

いまでこそ、社員の満足度は高く、社員の健康や働きがいを第1に考えることが経営方針となっているが、これまで順風満帆で来たわけではない。

南沢は高校卒業後、大手化粧品メーカーに入社し、美容販売員として派遣された店で初年度から先輩を上回る成績をあげ、その後もトップセールスを続けるなど営業の才能を見せた。新人いじめで、ライバルメーカーから派遣されてきた美容販売員に顧客を奪われることもあったが、南沢はむしろ顧客のために他メーカーの製品も勧めた。こうした姿勢が顧客の信頼を獲得し、トップセールを続ける結果になった。

顧客に勧める以上、自分でも新商品が発売される度に自費で購入し、化粧品を使いまくった。毎朝2時間かけて厚化粧を施していたという。ところが、そのうち顔がかぶれ、真っ赤に腫れ上がるようになった。

先輩からは「若いから高価な化粧品が合わないのよ」と慰めにもならない言葉を言われたが、そのうち、肌の荒れが悪化して、化粧も乗らないようになった。

さすがに南沢もおかしいと感じ、肌のためのスキンケアとは何かを考えるようになった。2001年に34歳で化粧品メーカーを退職し、ある会社が化粧品の新事業を始めると聞いて応募した。

ところが、新事業といってもスタッフが1人しかいない状況で、商売のタネは何もなかった。南沢は肌の健康を保つには代謝と潤いが必要だと知り、理想のスキンケア商品を開発するべく、ハーブを探したが、国内の原料メーカーは誰も相手にしてくれなかった。

そのうち、離婚することになり、子供を2人抱え、収入もなく、パン屋からパンの耳をもらってきて、子供と一緒に食べたこともあった。

しかし、南沢はあきらめない。ハーブの元祖は中国にありと、アポイントも取らず、南京の薬科大学を訪ね、偶然にもある研究者と出会った。その先生も代謝と潤いの重要さを語り、新製品を開発したいという南沢の願いを聞き入れた。