ありのままのすべてを見せる

“再会”を果たした人は、自分たちの体験を「幽霊」や「幻覚」というわかりやすい言葉で表現されたくないとおっしゃいました。「幽霊」と言うと、恐ろしいものというニュアンスを含んでしまうし、「幻覚」と言うと存在そのものを否定してしまう。彼らからしたら、出会ったのは家族そのものなのです。番組では「可哀想な人たちに辛い体験を語ってもらう」というわかりやすい同情で終わらないようにしなければならないと考えました。そこで、どれほどの悩み、苦しみを経て“再会”があり、今どう思っているのか、わかりにくくてもいいから、被災者の気持ちを、ご本人の口からありのままに語ってもらう構成を目指しました。何か結論が出るわけではありませんが、むしろそれでいいのではないか。最終的に、被災者4人がそれぞれのかけがえのない体験を語る、証言ドキュメントのような番組になりました。

放送後、被災地からは「よく放送してくれた」「私たちの気持ちをそのまま出してくれてありがとう」という肯定的な声を数多くいただきました。実はこうした体験をしていても、他人の目を気にして口に出せない人も少なくありません。体験者の肉声が放送されることで「自分だけではなかった」「人に話しやすくなった」という安心感が得られたようなのです。

一方で、特異なものとして視聴者に映ることをとても心配していました。しかし寄せられた反響の中に、オカルトやスピリチュアルの類いだという否定的な意見は、意外なほど少なかったです。反対に「このテーマに最初は驚いたが、自分の大切な亡き人を思いながら共感した」「私にも体験がある」などという意見を多数いただきました。

大切な人の死や、その人を思い続ける気持ちは普遍的なものです。被災地だけでない多くの人に反響をいただけたのは、人間の持っている複雑で繊細な心の奥底に、番組が訴えかけることができたからかもしれません。

忘れてはいけないのは“再会”を果たした体験が「気持ちが楽になった」「癒やされた」と一概に言えるものではないということです。 “再会”したことで余計に苦しみが増したという人や、なぜ自分は“再会”できないのだろうかと苦しむ人にもお会いしてきました。それに“再会”が転機になったという被災者の人たちも、一歩前に進む日もあれば後ろに戻る日もあります。でもきっと、それが当然のことなのだと思います。ありのままを受け止めることが、大切なことかなと思っています。

NHKは、現在も月に1度、NHKスペシャルで被災地の現状を伝えています。被災者の方々とのお付き合いの中から、少しずつ心情を話してもらえるようになってきています。僕も震災直後に吸ったあの空気感を反芻(はんすう)しながら、今後も工夫して番組制作を続けていきたいと思います。

(村上庄吾=撮影)
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