スマートコミュニティ産業の日本国内における市場規模は2020年に10年比3.7倍の約3兆3000億円に上ると見られる。日本は日本発の世界標準をめざすが、釜石市はスマートコミュニティ形成のモデル都市となる可能性を有すと、筆者は説く。
東日本大震災での生存率97%という「釜石の奇跡」
第二次世界大戦後の日本で、史上最大の自然災害となった昨年3月11日の東日本大震災。震災直後の大津波に襲われた岩手県釜石市では、のちに「釜石の奇跡」として語り継がれることになる感動的な出来事が起きた。津波が来そうなときは、家族といえどもてんでんばらばらに逃げるべきだという「津波てんでんこ」の言い伝えや、群馬大学片田敏孝教授の教えを守り、市内の鵜住居(うのすまい)中学校の生徒たちが、近隣の小学生や近所の高齢住民らを連れて、高台から最後は開通したばかりの高速道路にまで避難し、大津波で鵜住居の町が壊滅的な打撃を受けたにもかかわらず、多くの人命を救ったのだ。
しかし、一方で、釜石市内だけで、東日本大震災によって、1000人を超す市民が亡くなられるか行方不明になるかしたことも、冷厳な事実である。震災から早くも1年の月日が経過したが、震災で犠牲になられた方々のご冥福を心からお祈りする。
釜石市が大津波に襲われたのは、明治維新後だけでも、1896(明治29)年、1933(昭和8)年、60(昭和35)年に続いて、今回で4度目である。このうち1896年の「三陸大津波」では、当時の釜石町の人口6529人のうち、4041人が亡くなり、生存率は38%にとどまった。2011(平成23)年の東日本大震災で釜石市における死者・行方不明者が1061人(11年11月29日現在)に達した事実は悲しく痛ましいが、一方で、生存率が97%を超えた事実は、重要な意味をもつ。
被災地で生き残った人々は、「引っ越せばよい」という一部の経済合理性至上主義者の声に耳を貸さず、なんとかふるさとでの生活を取り戻そうとして歯を食いしばっている。それを支えるのは「ふるさと再生」への願いであり、力強く生き残った人々の「ふるさと再生」を願うエネルギーこそが震災復興の原動力だと言える。
東日本大震災直後、声高に語られた「復旧より復興を」のスローガンは、間違ってはいないかもしれないが、誤解を招きやすい。震災復興は、第一義的に「ふるさと再生」を願う「住民目線」のものでなければならず、その意味では「もとの生活を取り戻す=復旧」から出発すべきものであって、「上から目線」「東京目線」になりがちな机上の「復興プラン」が先行することは避けなければならないのである。