秀吉抜きだったら信長に殺されていた

黒田家16代当主・如水興産社長 
黒田長高氏

私自身は東京生まれで、氷川小学校、赤坂中学校を卒業しました。大卒後に就職・転職し、赤坂で不動産会社を興してもう30年になります。現在の居宅は東京・赤坂で、江戸時代に黒田家の中屋敷があった場所です。家譜などによれば、往時の土地面積は2万坪ほどあったようです。官兵衛の没年齢は59歳ですが、私もその年齢を2つ越えました。

黒田官兵衛の“官兵衛”は通称で、諱(いみな)が孝高(よしたか)、号が如水。残念ながら、家訓や言い伝えは特に残っていません。官兵衛が言ったとされる言葉も元は中国由来だったり、有名な「水五訓」もその類といわれています。

過去の映画・ドラマなどに登場する官兵衛は、まるで悪役のような謀略の将。ああいう時代ですから、中津で宇都宮家を謀殺するといった残酷なことも時にはしています。でも、実際はどうだったのでしょう? 私も多くの方々の研究から逆に教えられることのほうが多いのですが(笑)、本来は人間味あふれる正直な人だったのではないかと思っています。

人を裏切らず、人に裏切られても裏切ることがない。信長に反旗を翻した荒木村重を単身説得に赴いてそのまま幽閉されたのも、正直者が馬鹿を見たような挿話ですが、その際に自分を裏切った元城主の小寺政職を後で助けています。しかも子孫まで。普通なら打ち首ですよ。

しかも幽閉時の牢番の息子に黒田の名を与え、家臣にした。恩を受けた人を絶対に忘れない。流血を嫌い、極力戦わず智略で勝つ。今年の大河ドラマ『軍師官兵衛』は、そこを重点的に描いていただけるようですね。同様の考え方だった秀吉とうまく噛み合ったから生き延びられた。秀吉抜きで信長だけと組んでいたら、恐らく信長に殺されていたと思います。

官兵衛の諜報能力が高かったのは疑いようがありません。多くの情報に基づいた知略を駆使し、「戦わずして勝つ」ために、間者を随分と使ったようです。関が原の戦いが始まる際に母と妻の光姫を逃がすために敵の情報をいち早くつかむ手腕などは官兵衛ならでは。茶の席も情報収集の場ですし、クリスチャンになったのも、好奇心もさることながら、西洋の情報を得る狙いもあったのでしょう。信長と出会う前から、すでに西洋人と接触しているくらいです。情報の機微をよく心得るがゆえに、リーダーとして最も怖いのが民意だということも、よく知悉していたと思います。