もっとも、福岡藩の初代当主は、官兵衛ではなく長男の長政。関が原での大活躍が最も知られています。智将・官兵衛とは逆に最前線に立つ武将タイプですが、偉大な父親へのコンプレックスゆえにそうなったと私は見ています。意見箱をつくったり、城の一室に集めた人々に何を云われても怒らない「腹立てずの会」を月1回開いたことも父親の教えでしょう。

現在、黒田家の本家は私と妻と、欧州留学中の娘の3人。黒田家の由来が気になり始めたのは、私は20歳の頃ですが、娘は学習院在学時だったようです。ただ、侯爵だった祖父・長禮(ながみち)も、父・長久もそういうことをまず話題にしませんでした。父は「大人になればわかるだろう」と。あまり意識させたくないという気持ちは、亡母にもあったようです。これからはそういうことを表に出さず、普通の生き方をしなければと考えたから、私を普通の公立の学校に行かせたようです。

官兵衛が最も輝いていたのが、秀吉の下で軍師として働いた播磨の時代。ただ、その辺りはすでによく知られているので、大河ドラマではその後の中津にいた時代を描いてもらえたらいいですね。なぜなら、官兵衛がそれまでなかった「欲」を出したように思えるんです。秀吉亡き後、自分で自分の兵を動かして関が原の最中に九州を平定してしまおう、あわよくば自分が天下を取ろう……という欲ですね。

とはいえ、相手は徳川家康。官兵衛が天下取りを本気で考えたかどうか、その真意は私にはわかりませんが(笑)。

黒田家16代当主・如水興産社長 黒田長高
1952年、東京都港区生まれ。明治学院大学卒業。タイヤ販売会社、不動産会社を経て、83年如水興産を設立し独立。黒田官兵衛の長男・長政を祖とする福岡藩黒田家の第16代当主。祖父・長禮氏は侯爵・鳥類学者で理学博士、日本野鳥の会設立発起人の1人。父・長久氏も山階鳥類研究所所長を務めた鳥類学者・理学博士。
(藤野光太郎=構成 小原孝博=撮影)
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