「創立者一族のもの」という私立大学の実態
「創立者やその一族のもの」というのは、かなりの数の私立大学の実態である。創立者一族からすれば、創立者が巨額の財産を注ぎ込んできたので、実質的な支配権を持つのは当たり前、という意識になるのは理解できる。一方で、私学法などでは一族支配ができないような法改正が繰り返されてきた。結果、創立者一族は、強い権限を持つ理事長の座を握り続けることで大学を実質的に所有しようとしてきた。
2025年の私学法改正でガバナンスが強化されたが、私学団体の反対で骨抜きになり、ほとんど従前通りの理事会編成、理事長選びができる状態が続いている。理事会を選ぶ「理事選任機関」を設置することになっているが、何と、理事会自身を理事選任機関にすることができる。つまり、理事長が自分の意の者を理事に加えていくことが可能なのだ。株式会社で言えば、取締役を株主総会で選任するのではなく、取締役会自身で指名できるようなもので、ガバナンスはまったく効かないことになる。
米国の大学では卒業生が「カネも口も出す」
「公のもの」というのも理念的には正しいが、誰が経営を担うのか。国から補助金が出ているのだから、文科省の天下りが理事長や学長になって経営を行うのが「公」の実現かというとそうではないだろう。特に私立大学の教育に国が関与することは憲法上も問題がある。学問の自由以前の問題だ。
では、大学は誰のものなのか。これは米国の私立大学などを見れば歴然としている。東京大学とスタンフォード大学を出た冨山和彦氏は、東大総長選出についてSNSで繰り返し意見を表明しているが、米国の大学では、卒業生がカネも出す代わりに口も出すと言っている。卒業生による大口寄付によって経営が回っている側面も強い。いわば、米国の私立大学は「卒業生のもの」とも言って良い存在というわけだ。卒業生が大学から利益を得るというケースは少なく、母校愛で大学の行く末を考える、それに相応しい経営者を選ぶ、といった仕組みになっている。
※冨山和彦氏が会長を務める日本取締役協会は11月2日、「大学ガバナンス改革に関する緊急提言」を公表した。
一方、日本の学校法人の場合は、株主は存在しない。いわゆる「持ち分」が存在しないのだ。これが、創立者一族が「理事長」ポストに拘り続ける最大の理由になっている。だが、時として被雇用者であるはずの教職員が、理事会の過半数を握って創立者一族を追い出す「クーデター」がしばしば勃発する。もちろん、理事会の過半数を握ったからといって本来的な意味での「正統性」があるわけではない。

