誰が得をして、誰が損をするのか
では、財政負担がほぼ同じであるにもかかわらず、なぜ0%ではなく1%なのか。ここには、確かに違いがあります。ただしそれは、いくらかかるかという違いではありません。制度がどのように動くか、という違いです。
第一に、行政の手続きが増えます。税率をゼロにすれば、その効果は自動的に、すべての人に及びます。手続きは何もいりません。買い物をすれば、それだけで負担は消えます。
ところが給付という方式をとれば、対象者を確定し、申請を受け付け、あるいは口座に振り込むという過程が、必ず挟まることになります。
第二に、「線引き」が必要になります。「中低所得者」とは、いったい誰のことでしょうか。年収いくらまでを対象とするのか。この線引きこそが、制度の実質を決めます。
そして本稿を執筆している時点(2026年8月)で、その基準は公表されていません。第三に、これが最も重要な点ですが、税率という数字が、制度のなかに残り続けます。1という数字が残っているかぎり、飲食料品は消費税という制度の内側にとどまっている。
もう一つ、見落としてはならない違いがあります。
減税と給付を「同じ」とする危うさ
減税は、法律によって行われます。税率を変えるには、国会で法律を改正しなければなりません。いったん決まれば、それは制度として動き続けます。誰かの裁量で、来年からやめるというわけにはいきません。これに対して給付は、原則として毎年度の予算措置です。
金額を変えることも、対象を絞ることも、あるいは打ち切ることも、予算編成の過程で決められてしまいます。国会での議論を経るとはいえ、税率の変更にくらべれば、はるかに軽い手続きで動かすことができるのです。
減税は、権利に近いものです。給付は、政策に近いものです。この二つを「実質的に同じ」と説明することの危うさが、おわかりいただけるでしょう。
初年度に6000億円が配られたからといって、3年後も同じ額が配られる保証は、どこにもありません。筆者はここに、財務省という組織が半世紀をかけて磨き上げてきた、ある種の技術の痕跡を見ています。
国民が求めるものを、正面から拒むわけではない。求められたものは、たしかに与える。ただしそれを、いつでも手元に引き戻せる形に組み替えておく――。
その技術がどのようにして生まれ、どのように受け継がれてきたのかについては、これからじっくり辿っていくことになります。ですがその前に、もう少しだけ、いま目の前で起きていることを見ておきたいと思います。なぜなら、この制度には、すでに「終わりの日付」が書き込まれているからです。

