三重に事故が重なった不運な事故
JRは前身の国鉄時代、特に戦後混乱期に重大死亡事故が頻発したが、1988年以来、23区内で重大な死亡事故は起きていない。
直近で大きな犠牲者を出したのは1962年の三河島事故で、160人が死亡した。この事故は、現在の常磐線三河島駅の東側構内で起きた。まず下り貨物列車運転士が赤信号を見落とし脱線、旅客列車の下り線に乗り上げた。そこに下り旅客列車が突っ込み事故となる。
この時点では軽傷者が出ただけだったが、事故車両から降りた乗客が線路上を歩き出してしまった。そこへ上り旅客列車が突っ込み、双方の列車が大破するとともに上り車両は線路下に脱線転覆し、多くの犠牲者を出す事態になってしまった。
三重に事故が重なった不運といえば不運な事故だが、当時は事故が起きたことを列車間で知らせる無線がなく、また自動列車停止装置もなかった。さらに事故後の避難誘導も問題だった。
現場には何も残されていないが、近くの浄正寺(荒川区荒川3丁目)に慰霊の観音像がある。事故当時、多くの遺体が運び込まれた縁だという。事故現場最寄りの三河島駅には「三河島事故展示室」があるが、非公開だ。
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