関東大震災の最大の死因は何か。作家で江戸歩き案内人の黒田涼さんは「警察も『ここなら安全』と多くの避難民を誘導した先で多数の焼死者が出た。身一つで市外に出ていれば、これほどの死者は出なかったはずだ」という――。
※本稿は、黒田涼『東京ダークツーリズム 江戸から現代へ、惨禍の「悲業城市」をたどる』(笠間書院)の一部を再編集したものです。
最悪の条件下で起きた関東大震災
関東大震災は1923年(大正12年)9月1日午前11時58分、多くの人が昼食のために火を使用している最中に起きた。またあまり知られていないが、当時、台風が日本海沿岸を北上しており、東京は最大風速20メートルもの強風が吹いていた。
実は江戸が大都会となってから起きた大地震は、夜中であったり、雨が降っていたりと幸運が続いていた。しかしついに、最悪の条件で起きたのが関東大震災である。
火災は当時の東京15区内の136カ所で発生し、消防能力の限界を超えていた。淀橋浄水場は停電やポンプの破損などで送水が停止し、7200カ所あった消火栓はほぼ使えず、消火には堀や川の水を使うしかなかった。
それでも50カ所ほどの火事は初期消火できたが、残りの火事がじわじわと延焼した。つまり地震発生から大火災に発展するには、かなり時間的余裕があったのだ。当時の記録を見ると、揺れが落ち着くと「外食に行こう」などというのんびりした様子もあった。
多くの人は家財道具を大八車に積むなどして外で様子を窺っていた。すぐに郊外に逃げていれば、何万もの人が死なずにすんだのだが。

