「人助け橋」と呼ばれた新大橋
一方で死者が少なかった橋もある。隅田川がやや屈曲するところに架けられた新大橋は歌川広重の絵で有名だ。さすがに震災当時、隅田川に架かる橋は鉄橋になってはいたが、路面や構造物は木の橋が多かった。しかし新大橋は1912年に架け替えられたばかりで路面もアスファルトだった。
この橋でも多数の避難民が家財を持って集まり、身動きが取れなくなったが、出動した警察官が統率し、荷物を川に捨てさせた。この結果、新大橋では死者が出なかっただけでなく、橋が健全に保たれたため以後の復旧に重要な役割を果たすことができ、「人助け橋」と呼ばれるようになる。他の橋は路盤や構造物が焼け、通行不可能になってしまった。
新大橋の中央区側北の橋詰には、このことを記憶する記念碑がある(中央区日本橋浜町2丁目)。また江東区側の八名川小学校(江東区新大橋3丁目)の校内には、当時の橋名板が保存されており、外からでも見ることができる。橋自体も、半分だが愛知県の明治村に保存されている。
検索時にプレジデントオンラインに関連する記事が表示されます


