身一つで市外に出ていれば

地震による死者は全国で10万5385人、当時の東京府では7万387人だった。そのうち火災による死者が6万6521人と実に95%を占めた。つまり地震による直接の死者は、わずかと言っては言葉が過ぎるが、3866人に止まっていたわけだ。

地震による揺れは東京では神奈川のように激しいものではなく、震度5程度に収まっていた地域も多かった。記憶に新しい東日本大震災の揺れとさほど変わりはなかった場所も多い。

地震後すぐに郊外へ避難をしなかったこと、家財道具を持って避難したことが多数の焼死者を出した大きな原因だ。身一つで市外に出ていれば、これほどの死者は出なかったはずだ。

橋で起きた大量死

被服廠跡以外にも関東大震災で多数の死者が出た場所は数多い。慰霊碑などがある場所も下町地区を中心に数えきれないほどある。いくら紙幅があっても足りないので、ごく一部を紹介する。

中でも今後とも教訓になりそうなのは橋での大量死だ。

橋は避難路にもなるが、いっぺんに大勢が集まると身動きができなくなる。戦争による爆撃でも大量死が起きたし、イベントなどでの群衆雪崩による圧死事件も数多い。非常時に橋の上は要注意場所だ。

墨田区の春日通りに架かる横川橋は、今は下の大横川が埋め立てられて親水公園になっている。春は桜が咲き誇り、近くには、かつて川に面していた倉庫を改造したおしゃれなカフェがある。

大横川親水公園
現在は「大横川親水公園」として親しまれている(写真=flickr/Guilhem Vellut from Annecy, France/CC-BY-2.0/Wikimedia Commons)

橋の袂の大きな碑には「大震災遭難者追悼碑」と書かれている(墨田区横川1丁目)。震災当時は橋はまだ木造で、避難民が集まって身動きが取れなくなっていた。午後2時ごろ、周囲からの火が迫り、逃げ場を失った人たちは橋とともに燃え上がってしまった。

公式の統計では773人が亡くなったとされているが、碑には3600人が亡くなったとある。周囲の犠牲者も合わせてのことだろうか。