事故の記憶を、私たちはどう受け継げばいいのか。作家で江戸歩き案内人の黒田涼さんは「520人もの乗客が亡くなった事故を体感できる予約困難な施設が羽田空港にある。安全の尊さ、事故の悲惨さを知るために、すべての人が見る価値がある」という――。

※本稿は、黒田涼『東京ダークツーリズム 江戸から現代へ、惨禍の「悲業城市」をたどる』(笠間書院)の一部を再編集したものです。

JAL航空機
写真=iStock.com/Jetlinerimages
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航空機事故の残骸が目前に

東京モノレールで羽田空港内の新整備場駅を降りると、すぐ脇に巨大な日本航空の建物が建つ。この中に、見学者の多くが眉間に皺を寄せ、時には涙を流す人もいながら、予約困難な「人気」施設がある。「日本航空安全啓発センター」(大田区羽田空港3丁目)だ。

2006年開館のこの施設には、1985年の「日航123便墜落事故」、いわゆる「日航ジャンボ機墜落事故」の事故機体の一部が展示されている。

私は新聞記者だった事故当時、現地の病院で生存者が搬送された場面を取材した。その後は遺族の待機する学校や、遺体が安置された体育館なども訪れた。40年以上経った今も、体育館の空気は忘れることができない。また、いまだに飛行機に乗るのにはいくばくかの緊張感がある。

事故から数十年経っていても、実際に事故機の残骸を目前にすると体がこわばる。そして想像以上の巨大さにも圧倒される。

事故原因となった圧力隔壁の修理ミス部分も目前で見ることができる。形を残していた座席もいくつか展示されているが、金属部分が捻じ曲がっている。シートベルトは閉められたままだが、座っていた乗客はどうなってしまったのか。

事故後に生まれた、という日本航空の社員が詳しく解説してくれるが、1つもメモを見ることなく、淀みなく90分近い解説をこなしていたのが印象的だった。

犠牲者の遺品コーナーにある時計は一様に墜落時間で止まり、所持品の鍵の多くが曲がったり折れたりしており、墜落の衝撃の大きさを物語る。