毎年ジャンボ機事故5回分の死者が出る事故
死者の数で言えば圧倒的に多いのが自動車交通事故だ。「交通戦争」と呼ばれた時代には全国で万単位で死者が出た。
最悪だったのは1970年の1万6765人だが、これは事故から24時間以内に亡くなった人数で、当時の厚生省がまとめた交通事故が死因とされる犠牲者数は2万1535人ではるかに多い。
2025年は警察調べで2547人と過去最低だが、それでも毎年ジャンボ機事故5回分もの死者が出ている。
東京都内の警察統計では1960年の1179人が最高で、実際には1400人程度が亡くなっていたが、2025年は134人と激減している。
交通事故死者の慰霊碑は古くから数多い。
JR駒込駅北の妙義坂を下ると、右側に小さな「駒込妙義坂子育地蔵尊」のお堂がある(豊島区駒込2丁目)。今から360年ほど前の江戸時代に子孫繁栄を願って建てられた。その堂内に、おかっぱ頭でスカートをはいた少女二人が手を繫いでいる不思議な像がある。
1933年8月、このお堂のそばで11歳の少女2人が交通事故で亡くなった。これはその供養塔なのだ。服はよく見ると同じセーラー服のようだ。通学途中だったのだろうか。1人は錫杖を持ち、1人は宝珠を持つ。2人があの世でも仲良く過ごせることを願ったのだろう。
このようにすでに戦前から交通事故は問題となっていた。
「文明は尊きものか惨なるか」
西武新宿線鷺ノ宮駅を降りて駅脇の妙正寺川を渡ると、右手に様々な石像物が並ぶ一角がある。その中でお堂に入っているのが「交通危除地蔵尊」(中野区白鷺2丁目)だ。
堂前の通りで交通事故が多発したことを、近くの福蔵院の住職が憂い、沿道の1470人が浄財を集めて、交通事故が起きないことを願って1937年に立てられた。
しかし交通事故はなかなかなくならなかった。お堂の隣には「交通事故死亡者供養塔観音」が1983年に立てられている。
戦後の昭和30年代以降には「交通戦争」という呼び方が出てくる。交通事故の死者が、2年間で1万3000人余りが亡くなった日清戦争の死者を上回るペースになっている、ということがきっかけだった。
中央区の築地本願寺(中央区築地3丁目)には、こうした事態を憂いた人々が1969年に「陸上交通殉難者追悼之碑」を建立した。建設会の名誉総裁は三笠宮だ。宮様を担ぎ出すほどの深刻な課題だった。碑面の「文明は尊きものか惨なるかエンヂンの音耳すましきく」は心に響く。

