リーマンショック後の就職活動の難しさ

産婦人科医長の河谷春那が千船病院に戻ってきたのは、吉田の産婦人科部長就任の10年後、2023年4月だった。河谷は初期研修医として千船病院に入職、2022年まで千船病院に勤務していた。

河谷が本格的に医師を目指したのは、神戸大学経済学部4年生のときだった。

千船病院産婦人科医長の河谷春那さん
撮影=奥田真也
千船病院産婦人科医長の河谷春那さん

「3年生の秋ぐらいから就職活動をしていたんですが、ちょうどリーマンショックの時期と重なってしまっていたんです。希望している会社の募集人数がどんどん減っていくみたいな感じで。思うような結果がでなかった」

2008年9月、アメリカの投資銀行リーマン・ブラザーズの経営破綻をきっかけに世界的な金融危機が起きた。特に輸出産業の経営が悪化、派遣社員の雇い止め、新卒社員採用の縮小となった。

そんなとき、河谷は母親からこう言われた。

あんた、医者になりたいって言ってへんかったか、と。

「確かになりたいと思ったことはあったのですが、本当になれるとは思っていなかった。就活が上手くいかなかったこともあって立ち止まって考えて、挑戦してみようかなと。内定をもらっていた企業を断って、受験勉強を始めました」

文系であったため、高校時代に理科は1科目しか履修していなかった。新たに生物の勉強を始めた。

「みんなが楽しそうに働いていたんです」

「数学はもともと好きで、英語は大学で英語の本を読んだりしていました。でも予備校に行ってみると、明らかに自分は劣っているのを実感しました。なりふり構わず、分からないことはすべて聞きにいき、授業以外の時間はひたすら自習室にこもって勉強の日々でした」

就職活動と違って受験勉強は頑張ればある程度結果がついてくる。前に進んでいるという実感があったので楽しかったですと振り返る。

猛勉強の甲斐があり、2010年、宮崎大学医学部に合格した。

「宮崎大学は周産期に力を入れていること、赤ちゃんが生まれて“おめでとう”って言えるのはいいなということもあり、自然と産婦人科志望になりました」

医学部卒業後、初期研修で千船病院を選んだのは、第一印象だった。

「千船病院は分娩数が多く、多くの症例を扱うので経験が積めるということは知っていました。それに見学に来たとき、みんなが楽しそうに働いていたんです。それでここに入りたいと思ったんです」

彼女の印象は、吉田の考える“理想の産婦人科”の2番目の要件そのものである。