アニメとはずいぶん違った一休禅師
一休宗純禅師も、アニメ作品「一休さん」のモデルになるほど、日本人に愛されていた禅僧です。
アニメの一休さんは、数々の困りごとを見事解決する「とんち」と、「あわてない、あわてない、一休み、一休み」というセリフで知られる、ユーモアの人です。
しかし現実の一休禅師はというと、アニメの姿とはずいぶん違っていたようです。当時の仏教では禁じられていた飲酒や肉食、恋愛が大好きでした。
またお正月にはどくろを杖の先に刺して「ご用心、ご用心」と町を歩き、「門松は冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」という歌を詠み、新年のお祝い気分に水を差したとか。
破天荒、という言葉がこれほど似合う禅僧も、なかなかいません。そんな一休さんの臨終の言葉が伝えられています。
「死にとうない(死にたくない)」
これを聞いて、みなさんはどう感じられたでしょうか。
「一休ほどの高僧でも、最期は悟りきれなかったのか。やはり死ぬのは怖いのか」と、拍子抜けした方もいらっしゃるかもしれません。たしかに、厳しい修行を積んだ禅僧が放つ言葉としては、あまりに人間臭く、矛盾した言葉のように聞こえます。
しかし、破天荒な一休さんが、これほど単純な未練を最期に残すでしょうか。私はそうは思えません。
弟子の心を揺さぶる最後の修行
禅には「公案」という修行があります。師が弟子に向けて、あえて答えの出ない問いや、一見矛盾した言葉を投げかけ、その真意を深く考えさせるものです。
「死にとうない」は、一休さんが息を引き取るその瞬間まで、弟子たちの心を揺さぶろうとした最後の公案ではなかったか。私にはそんな気がしてならないのです。
「お前たちは、私のこの言葉をどう受け止めるのか」
なんとも人騒がせな一休さんですが、しかし、これもまた一休さんらしい。それに、禅とは「ありのまま」の自分を生きることを説くものです。
その意味では、一休さんほど、禅の精神を体現した人はいないかもしれません。無理に悟ったふりをするのではなく、その時々の心に正直であろうとする。生を慈しみ、もっと生きていたいと願う自分を、隠さずにさらけ出す。「死にとうない」という言葉には、そんな一休さんの正直さが表れてもいるのかもしれません。
ちなみに、江戸時代の高僧・仙厓和尚も、臨終に同じ言葉を残したといいます。辞世の言葉を求められて「死にとうない」と答え、弟子が困って「もう一言お願いします」と食い下がると、「まことに、まことに、死にとうない」と付け加えたそうです。

