良寛が見舞い状に記した言葉
その良寛さんが、大地震にあった知人へのお見舞い状に、こんな言葉を記しました。
災難にあう時節には、災難にあえばいい。死ぬときがきたら、ただ死んでいけばよい。「それが災難から逃れる、もっとも優れた方法(妙法)なのだ」と良寛さんはいうのですが、本当にそうでしょうか。
「何が妙法だ。それができれば苦労はない」と、見舞い状でこれを読まされた知人は戸惑ったかもしれません。それに、子どもたちと戯れた良寛さんの言葉にしては、ずいぶん人を突き放した物言いにも聞こえます。
しかしここには、禅の根本的な教えが込められています。それは、自分の思い通りにならないことをどうにかしようとするから、苦しみが生まれるのだ、ということです。
どうにもならないことは受け入れる
死は恐ろしく、できることなら避けて通りたいもの。それが私たちの偽らざる本音です。しかし現実に、人生には避けがたい苦しみがいくつもあります。
仏教に「四苦八苦」という言葉があります。四苦とは「生老病死」のこと。つまり、生きること、老いること、病むこと、そして死ぬことです。
いずれも、自分の采配でどうにかできるものではありません。どれほど健康に気をつかっても、老いはくる。どれほど用心しても、病は訪れる。そして死は、誰一人として免れることができない。それがこの世の理なのだと、仏教は教えています。
とりわけ死が怖いのは、それが絶対的に未知の領域だからでしょう。いつ、どこで死ぬかわかりませんし、亡くなった当人から「死とはこういうものだったよ」と話して聞かせてくれることもありません。
しかし、だからこそ禅は教えるのです。
どうにもならないことは、そのまま受け入れるしかない。どうにもならないことをどうにかしようとするから、人は迷い苦しむ。思い通りにならないことは、仏様にお任せする他ない、というわけです。
良寛さんは決して「諦めて死を待て」と言っているのではありません。むしろ、「死ぬる時節が来るまでは、何も心配しなくていい」と言っているのです。
私たちは皆、いずれ死を迎える運命にあります。しかし、死ぬ時節が来るまでは、精一杯に生を謳歌すればいい。余計な心配をしなくていい。怯えなくていい。
良寛さんは、やさしくそう語りかけているのです。

