賃金が下がり、役割も曖昧になる「定年後の継続雇用」
高年齢者雇用安定法により、65歳までの雇用確保が求められ、さらに70歳までの就業機会の確保についても定年の引き上げ、定年廃止、継続雇用、業務委託など、多様な選択肢を制度化する努力義務が事業主に課されています。
制度の側は、多様な人生後半の働き方を想定し始めています。ただ、年齢と到達年次を国家の工程表に明記したシンガポールと比べれば、日本の70歳までの就業確保はまだ「努力義務」の段階にとどまっています。
しかも現場では、雇用年齢の延長と「役割や評価の再設計」とが結びついていない場合が少なくありません。
定年後に継続雇用されても、賃金は大きく下がり、役割は曖昧になり、責任の所在も不明確になる。雇われてはいるが、主戦場からは外されたような感覚を持つ人も多い。これでは働く側の意欲も、企業側の期待も弱くなりやすいのは当然です。制度上は雇用が続いていても、実質的には「キャリアが細る」状態が生まれてしまっています。
長寿化したのに、キャリア設計が長寿前提になっていないのです。若い頃に採用し、管理職に上げ、一定年齢で役職を外し、再雇用で緩やかに退かせる。この「一本調子のモデル」は、寿命が延び、健康状態も多様化し、働き方のニーズも細かく分かれる現代の社会にはもはや合わなくなっています。
「高齢者にも働く場を与えてあげる」ではいけない
60代でも極めて高い専門性を持つ人もいれば、短時間なら十分に力を発揮できる人もいる。逆に、身体的負担の大きい仕事では、役割の切り替えがなければ働き続けるのが難しい人もいる。にもかかわらず、年齢で一律に処遇を決める硬直的な構造が残っている。
雇用の延長は進んだが、活躍の設計は進んでいないのです。
高齢就労という言葉には、日本ではまだ、どこか福祉的な響きがあります。「年金だけでは不安だから働く」「高齢者にも仕事を用意してあげる」。そうした見方が現実の一部であることは否定しません。しかし、その見方だけでは、政策も人事も守りの発想から抜け出せません。
持つべき視点は「戦力化」です。我慢して働いてもらうのではなく、年齢を重ねた人の経験、信頼、専門性を、どうすれば無理なく成果に変えられるか。極めて前向きな設計の問題なのです。
総務省の統計から見ても、これはすでに現実です。
65歳以上の就業者のうち、雇用されている人は6割、自営業主や家族従業者は3割近く、会社などの役員も1割を超えます。特に「医療・福祉」分野では、65歳以上の就業者が10年前のおよそ2.3倍に増えました。高齢者の就業は決して補助的な働き方などではなく、現実に日本の経済を支える一部を強固に担っているのです。
