ユング由来の「影を生きる物語」
三つ目の「影を生きる物語」は、ユング由来のものです。ユングは中年期というものを人生の正午に訪れる危機だと考えていました。それは太陽の上昇局面から降下局面への移行であり、人生の前半戦から後半戦への過渡期でした。
このとき重要なのは、ユングが人生の前半戦を、現実社会の中で通用する自分を作るべく格闘する時期だとしていることです。若者は自分なりの強みを見つけ、その強みを育て、社会と渡り合える自分を作り上げないといけません。「何者かになる」のが人生前半の課題になります。
面白いのは、「何者かになる」ことが、同時に「ならなかった自分」を生み出すことです。私自身のことを例にするならば、開業心理士として生きることを選んだことで、大学教員として生きる人生を捨てることになりました。この失われた自分のかけらたちが結晶化することで、心の中に生じるのが「影(「シャドウ」と言ったりもする)」です。
人生の前半は(*社会向けの)仮面を作って、影を見ないようにする。しかし、正午になるとこれが逆流し始めます。影が人生の表舞台に乗り込んできて、今まで生きてこなかった自分をちゃんと生きるべきだと主張し始めます。これがミドル・エイジ・クライシスの正体だとユングは考えます。
人生前半で「安定」を手に入れられた時代
三つの物語はいずれも一定の説得力があると思いますし、読者自身や周囲のミドル・エイジたちにあてはまるところがあったのではないかと思います。しかし、それと同時に、読者はモヤモヤしてきたのではないでしょうか?
エリクソンにも、ユングにも、そして「青年に戻ろう」と呼びかける人たちにも、人生の前半で安定を手に入れることがさも当然のことかのような感覚がにじんでいます。「ひとまず安定した。では、これからどうしたらいいのか?」――これこそがミドル・エイジの物語に共通して響いている感覚です。
実際、アメリカで中年の心理学の研究が盛んになったのは1970年代で、日本で河合隼雄によって『中年クライシス』が書かれ、中年心理学研究が盛り上がったのは1990年代です。社会が豊かで安定していた時期でした。「ひとまず安定した。では、これからどうしたらいいのか?」という問いは、この「社会は豊かになり、安定した」という世の中の感覚に根差したものだったと言えます。
そのとき問われるのは「いかに生きるか」という実存の問題です。このとき、「親になる物語」や「影を生きる物語」という経済的な豊かさとは異なる人生の豊かさを求める物語に素朴なリアリティが出てくるわけです。ものが豊かな時代だったからこそ、心の豊かさが求められたということです。

