「地図」を準備できるのではないか
中年の人生がそれだけ個人的なものになっている。ここには二つの含みがあります。
(1)ミドル・エイジ・クライシスは個人的な危機であるがゆえに、その入り口も出口も歩き方も一律なものではなく、それぞれの答えに辿り着くためにグネグネと森の中を彷徨わざるを得なくなる。
(2)ミドル・エイジ・クライシスは個人的な危機であるがゆえに、周囲のミドル・エイジたちとその経験や知恵を共有することができず、誰もが未知の森で迷子にならざるを得ない。
このとき、(1)については避けようのない中年期の本質であるので、受け入れないとしょうがないにしても、(2)については改善の余地があります。ミドル・エイジ・クライシスの経験談を聞いて回ることができたなら、おおよその地図を事前に準備できるのではないか。
実際、そのような問題意識を抱いた心理学者たちが1970年代のアメリカに出てきました。彼らはミドル・エイジの研究を始め、多くの中年たちの調査を行い、聴取した物語を解析し、その構造を明らかにしようとしたのです。
ミドル・エイジをめぐる三つの物語
私の見る限り、(*心理学者たちがこれまでに見いだした)ミドル・エイジの物語は大まかに言って三種類あります。ひとつは現代の自己啓発本やビジネス本でも語られているような「青年に戻る物語」で、二つ目は「親になる物語」。そして、最後に「影を生きる物語」です。
一つ目の「青年に戻る物語」は現代では一番説得力のあるものかもしれません。曇り空が続く中で、「これではいけない!」と思う出来事があり、「もう一度新しいことをしよう」と決意する。副業をはじめるかもしれないし、転職するかもしれない。起業することだってあるでしょう。彼らは青年に戻ろうとしています。無限に挑戦し、成長する若者であり続ける。
二つ目の物語は、中年心理学の王道中の王道であるE・H・エリクソンの「親になる物語」です。エリクソン説では、ミドル・エイジの課題は「生殖性 対 停滞」です。
生殖性とは「子孫を生み出すこと(procreativity)、生産性(productivity)、創造性(creativity)を包含する」とされていて、決して生物学的に子供を持つことだけに限定されていません。「新しい存在や新しい製作物や新しい観念を生み出すこと」がなされ、それらを育てていくのが中年期の課題だとされているわけです。
面白いのは、これに失敗したときに、「停滞」や「自己耽溺」が現れるとエリクソンが指摘していることです。それはつまり、古い自分のままに止まり、その自分にしがみつくようになるということです。エリクソンは人間の心の発達を死ぬまで続くものとして見ました。であるから、ミドル・エイジになるならば、以前とは違う形へと変容せねばならない。つまりは「成熟」すべきである。エリクソンはそう言っています。

