「同僚」としてのAI

「試験型の学習観」が、社会に出た後の活動にも無意識に持ち込まれていることが多い。その結果、多くの人は、これまでなされてきた問題設定をそのまま受け入れ、「正しい答えは、必ずあるはずだ」という前提で考えようとする。

しかし、これはあくまで、問いと目標が与えられている「試験」という世界での話だ。現実の社会や仕事の現場では、事情はまったく異なる。多くの場合、「何が問題なのか?」は、最初から明確に与えられているわけではないのだ。

私たちはしばしば、与えられた問いに対して疑問を抱かず、実は、誤った問いに縛られている。本来は、「そもそも何が問題なのか?」を定義することが中心的な地位を占めるべきだ。

「勉強」という言葉を、本稿では「そもそも何が問題なのか?」を定義することをも含む活動、つまり、学校での勉強や試験勉強よりも広い知的活動という意味で用いたい。

こうした場合に重要になるのが、AIに「同僚」としての役割を求める視点だ。

同僚とは、与えられた課題を無批判に処理する存在ではない。議論を通じて、「そもそも、その問いの立て方で良いのか?」「別の見方はないのか?」と問い直す相手である。

「AIを同僚として用いる」とは、問いそのものを再構成するプロセスにAIを参加させることを意味する。

「問いの転換」が起きた

従来あった問題設定を立て直すことによって新しい世界が開けた例は、歴史上、枚挙にいとまがない。

たとえば、「馬車をもっと速く走らせる方法はないのか?」という問いに固執していれば、解決策は馬の改良や車輪の工夫に限られる。しかし、「そもそも馬に引かせる以外の移動手段はないのか?」と問い直したことによって、自動車というまったく異なる技術体系が生まれた。

ここで重要なのは、解答の改良ではなく、問いの転換が起きたことだ。

理論の世界でも同様の例がある。天体の運動を説明するために、「地球を中心に惑星が複雑な周回運動をしている」と考え続ければ、理論は複雑化するだけだ。

しかし、ニコラウス・コペルニクスは、「地球が動いているとすれば、どのような理論が導けるか?」と、問いを転換した。それによって、人類の宇宙観は一変したのである。