「座敷からくり」と「山車からくり」

実は、からくり人形には大きく分けて「座敷からくり」と「山車からくり」の2種類がある。座敷からくりはゼンマイやバネ、歯車などを用いて自動で動く人形で、茶運び人形や文字書き人形などが該当する。茶運び人形とは、お客さまに自動でお茶を出すからくり人形で、人形が持っている茶托に湯飲み茶碗を載せると人形が前進し、湯飲みを取ると止まり、飲み終わって再度、茶托に湯飲み茶碗を載せるとUターンして戻る。

細かな説明は省くが、クジラの髭を使ったゼンマイを動力に、歯車とカムを用いて複雑な動きをプログラミングしている。カムは、ゼンマイの回転運動を往復運動や旋回など別の動きに変換する機構だ。

もう一つの山車からくりは、人形の体内に仕組まれた数十本の糸を人が操作して動かす大型のからくり人形。山車からくりは京都や福岡などの祭りでも見られるが、愛知県には山車からくりが圧倒的に多く、100両を超える山車からくりが残っている。その中でも犬山は、江戸時代から続く13両がそのままの形で残っているという点で希有な存在だ。

 有松絞りまつりで展示・実演された山車からくり
撮影=プレジデントオンライン編集部
 有松絞りまつりで展示・実演された山車からくり、2026年6月6日、名古屋市

江戸時代の発明、人形の精巧な動き

犬山城下にある「IMASEN 犬山からくりミュージアム」では、こうした座敷からくりや山車からくりの一部が展示されており、犬山と尾張藩のからくり文化を体験できる。実際、茶運び人形の実演を見たが、その精巧な動きには思わず見惚れてしまった。仕組みを聞けば「ああ、なるほど」という話だが、それを考え出した江戸時代の発明家はすごい。

話を戻すと、犬山祭の始まりは江戸時代初期の1635(寛永12)年に遡る。当初は簡素な出し物が中心だったようだが、1650(慶安3)年に当時の城主である成瀬正虎公が祭りを奨励。各町内が競って車山を出すようになった。その後、江戸幕府はたびたび倹約令を出したが、犬山祭はその華やかさを失うことなく継続された。

その背景には、犬山城主である成瀬家が尾張藩の附家老つけがろうという特別な地位にあったこと、犬山城のある尾張藩が御三家筆頭である尾張徳川藩の領地で、幕府の統制が及びにくかったという点などが挙げられる。

その中で、木曽川の水運で潤っていた犬山の町衆は、それぞれの町の誇りを見せようと車山やからくり人形に積極投資。そして、金糸や銀糸の刺繍が施された水引幕や名工の技術の粋すいを集めた精緻な木彫り、漆塗りや金箔が施されたド派手な車山が誕生することになったのだ。

木曽川の犬山橋から見た犬山城
木曽川の犬山橋から見た犬山城、2012年11月10日(写真=アルプスデーケ/CC-BY-SA-3.0/Wikimedia Commons)