『新世紀エヴァンゲリオン』
90年代に放送されたアニメがなぜ、今の若い世代に受けるのか。『新世紀エヴァンゲリオン』がそれまでのロボットアニメの常識を覆した作品であることは、私の講義を受講する学生たちも知っている。だが彼らの関心事はそこではない。父親や同年代の仲間など自分を取り巻く世界に主人公の碇(いかり)シンジが抱く強烈な疎外感や息苦しい圧迫感に、学生たちは自分の思いを重ねるのだ。
シンジは「弱音を吐きすぎ」との感想も聞かれるが、誰もが彼の気持ちは分かると言う。
学生たちはエヴァンゲリオン(EVA)が装甲(拘束具)に閉じ込められた生命体であると知ってショックを受ける。シンジと同じ14歳のEVAのパイロット、綾波レイがクローンだと知ってギョッとする学生もいれば、十字架などキリスト教のイメージに困惑する学生も多い。
授業では、期末試験の一環として学生たちに『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』を鑑賞させた。この映画のラストのシンジとアスカの場面は観客に解釈を委ねる形で唐突に終わる。その曖昧さに不満を持つ学生もいたが、評価する声も聞かれた。
『葬送のフリーレン』
なぜ、これほど静かな作品が、アニメを代表する名作の1つとなったのか。多くのファンタジー作品とは異なり、この物語は壮大な冒険の旅が終わった後に始まる。勇者たちは既に世界を救っている。本当の物語はその後に紡がれるのだ。
この予想外の始まりが、このシリーズを他の作品と全く異質なものにしている。この作品が問いかけるのは、世界をどう救うかではない。人生をどう理解するか、だ。
長命なエルフであるフリーレンは、人間とは全く異なる時間感覚を持っている。彼女にとってのつかの間の出会いは、人間にとっては生涯の付き合いとなる。彼女は少しずつ気付いていく。何げない日常の1コマは二度と戻ってこない。だからこそ、かけがえのない価値があるのだ、と。
フリーレンは共に旅したヒンメルの思い出をたどる。人間である彼はあっという間に老いてこの世を去ったが、フリーレンは今になって彼をちゃんと理解していなかったと悟る。振り返ることそのものが学びとなり、相手が亡くなった後も、思い出を通じて2人の関係は深まってゆく。
このシリーズは平凡な出来事を丁寧にすくい上げる。ちょっとした会話、穏やかな旅路、仲間との食事、さりげない優しさ……。
こうした描写は文化を超えて人々の共感を呼ぶ。時間の流れとともに、人と人との関係は変化し、人生が進むにつれ、誰かの記憶も微妙に変わってゆく。『葬送のフリーレン』は静かに観客に問いかける。時を重ねながら、私たちはどうすれば、身近な誰かと心を分かち合えるのか、と。
日本のアニメが世界でこれほど大きな成功を収めた理由は何だろう。日本的な特色を捨てたからではない。心に残る物語とキャラクターを通して、普遍的な人間の問いに挑んできたからだ。世界中の観客がその問いを自分の問いとして受け止めている。
ある年、学期末の授業で学生たちにアニメを観る理由を聞くと、こんな答えが返ってきた。「人生や人間関係、生きる意味について考えさせてくれるから」
世界中のアニメファンも同じ思いだろう。人々はただワクワクするような物語を求めているわけではない。より良く生きるとはどういうことか。その答えを探るため、今日もまた画面の向こうのヒーローやヒロインと共に冒険の旅に出るのだ。
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