日本アニメ産業の市場は今や3.8兆円を超え、半分以上を海外市場が占める。ただ、「刺さるポイント」は国や文化によりさまざまのようだ<ロナルド・グリーン>
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日本のアニメはなぜ、世界的な文化現象になったのか。この問いについて考えるに当たり、まずアメリカの状況を振り返ってみたい。

アメリカで日本のテレビアニメ(英語吹き替え版)が放送された草分けとしては、手塚治虫原作の『鉄腕アトム』(1963年)や、吉田竜夫原作の『マッハGoGoGo』(1967年)がある。

私(現在50代だ)も子供の頃は、感情豊かな瞳や大げさな表情、そしてスピーディーな物語の展開に引き込まれたものだ。日本の作品だとは思いもしなかった。

90年代後半になると、アメリカではDVDのレンタルやケーブルテレビ(CATV)が普及して、アニメを視聴しやすい環境が整った。なかでも画期的だったのは、2000年代にCATVのカートゥーンネットワークで始まった2時間のアニメ枠「トゥナミ」だろう。『ドラゴンボールZ』や『美少女戦士セーラームーン』『新機動戦記ガンダムW』といった人気作品もこの枠で放送された。子供たちは学校から帰るとテレビにかじり付いたものだ。

2010年代後半には、ネットフリックスやフールー、アマゾンプライム・ビデオといった動画配信サービスでもアニメが見られるようになった。これにより、これまでアニメに触れたことがなかった人たちが簡単に見られるようになった。それと同時に、『鬼滅の刃』や『呪術廻戦』といった新世代のアニメが世界に知られるきっかけになった。

そして今は、TikTok(ティックトック)やレディットなどのソーシャルメディアでアニメ談議が盛り上がっている。ファンによる解説動画、ファンアートやコスプレなど、派生的なコンテンツも増えた。女性ファンも増えている。

私が大学で担当している授業「アニメと宗教的アイデンティティー――日本の精神世界における文化の美学」には多くのアニメファンの学生が集まる。彼らは当初、戦闘シーンやキャラクターについて熱心に語るが、授業が進むにつれ教室で交わされる議論は少しずつ変化していく。

では、アメリカで一番人気のアニメ作品はどれか。長年、アメリカで外国の映画やドラマが成功を収めるためには、物語の「欧米化」が必要だといわれてきた。だが、アニメに関しては正反対の現象が起きている。最大級の成功を収めた作品は、極めて日本的な物語が多いのだ。

そこでこの記事では、『もののけ姫』『NARUTO -ナルト-』『進撃の巨人』『僕のヒーローアカデミア』『鬼滅の刃』『新世紀エヴァンゲリオン』、そして『葬送のフリーレン』を取り上げ、日本のアニメの魅力を改めて考えてみたい。

『もののけ姫』
映画『もののけ姫』予告編(英語版)

宮﨑駿原作・脚本・監督の映画『もののけ姫』は、世界のアニメファンに強烈な衝撃を与えた。極めて日本的なものの見方を万人の心を揺さぶる物語に織り込むことで、アニメは子供向けの娯楽にとどまらず、哲学や倫理的な問いさえ扱うアートであることを知らしめたのだ。

『もののけ姫』で描かれる森は生きている。山には霊的な意味が宿り、動物たちは怪物ではなく神であり、人間は自然の上に君臨する存在ではなく、自然の一部だ。こうした捉え方は、神道など日本の文化の中で長い時間をかけて育まれてきた自然観を反映している。

そのストーリーも、単純な勧善懲悪の物語とは全然違う。主人公の青年アシタカは、対立する人と森のどちらにも正義があることを知る。森を開墾しようとするタタラ場の女指導者のエボシ御前は、身売りされた娘たちや病人など社会的弱者を保護し、教育や仕事を与えている。山犬に育てられたサン(もののけ姫)は、森を破壊するエボシを倒そうとする。

アシタカはそのどちらかに一方的に味方したり、憎しみに同調したりしない。これは日本以外の多くの国の視聴者にとっては大きな驚きだ。そこで描かれるのは、善と悪の衝突ではなく、2つの正当な言い分の衝突なのだ。

怒りや憎悪といった負の感情についても、『もののけ姫』の描き方は独特だ。アシタカは映画の冒頭で、自分の村を襲おうとしたタタリ神を退治したことで右腕に死の呪いを受ける。だが物語が進むうち、このタタリ神は人間が放った鉛の弾によって重傷を負った猪神が、苦しみや人への憎悪や邪気を吸い込んで化け物になったことが分かる。

アシタカはその呪いの印を受けたことで強大な力を得るが、武器を持って争おうとすると、この呪いが暴走することが分かり、感情のエネルギーをコントロールする重要性に気付く。つまりこの映画で、怒りは方向付けによって、物事を破壊もすれば、守りもする強力な道徳的エネルギーとして描かれるのだ。

『もののけ姫』が世界中で支持されたのは、環境問題に加え「暴力にどう対処するべきか」「哀れみと暴力は両立するのか」「対立があっても平和は構築できるか」といった普遍的な問いが秘められているからだ。映画の世界観は極めて日本的だが、こうした問いは世界共通なのだ。

『NARUTO -ナルト-』

友情・努力・勝利が描かれる点も、日本アニメが世界の人々を魅了する理由だ。『NARUTO -ナルト-』はテレビ放映によって世界的な人気を獲得した日本アニメの先駆けで、長い話数を使って物語を紡ぐという長編アニメの手法に本作で初めて触れた人も多い。

視聴者はすぐに主人公のナルトに感情移入するが、それはなぜか。物語の序盤、ナルトは里の人々に疎まれ、孤独で、何とかして自分を認めてもらいたいと思っている。のけ者にされるつらさ、誤解されるつらさは文化の違いを問わず、多くの人が理解できるはずだ。

成功はその手で勝ち取るべきもの。ナルトは才能よりも不屈の努力で実力を付けていく。努力と強い意志のたまものであればこそ、勝利は意義あるものとなる。この作品では、生まれついての能力よりも人間性が大切だと繰り返し説かれる。だからこそ、多くの若者がナルトに勇気づけられてきたのだろう。

また、自分一人だけの力で何かを成し遂げることはできない。この作品において友情が大きな意味を持つのはそのためだ。勝利するには同じ班の仲間との協力が欠かせないことをナルトは身をもって知る。ナルトは師のカカシや自来也(じらいや)、それに仲間のサクラからも多くを学ぶ。サスケとのライバル関係は、友情や絆や許しに対するナルトの考えを揺さぶる。対立も人としての成長の一部なのだ。

また、ナルトは繰り返し、復讐を否定する。その代わり、彼は問いかける。なぜこの人は苦しんできたのか、この対立はどこから生じたのか、暴力を終わらせることはできるのか、と。物語のテーマは敵を倒すことから敵を理解することへと変容し、相手を許すことは征服することよりも偉大な勝利となる。それがこの物語に感情的な深みを与えている。