エリートは「ホーム」でしか戦えなかった

なぜトヨタは、自社のF1チームを持つのではなく、ハースとの提携という形を選んだのか。その答えの核心にあるのが「人を育てる場」としてのF1への共通理解だった。

「アウェイである国際舞台、つまり日本というコンフォートゾーンから抜け出した場所で、真に戦える日本人を育てよう、という理想です」

コンフォートゾーンとは、勝手を知り尽くした「居心地のいい安全圏」のことだ。小松はここから一歩出ることを、人材育成の中心に据えている。

小松がこの重要性を痛感したエピソードがある。ある自動車会社の優秀な日本の社員が、イギリスのF1拠点に送り込まれて来た時のこと。まさに「鳴り物入り」だったエリートが、イギリスではまったくその力を発揮できずその上、体調を崩し帰国してしまった。しかし、後に日本の研究所で再会すると、その人物から圧倒的な実力を見せつけられ、小松は驚愕した。

「残念ながら、その人はホームでしか戦えなかった。でも、その実力の半分、いや6割でも発揮できていれば、イギリスでも十分に通用したはずです。それぐらい才能があった」

技術や能力そのものではなく、コンフォートゾーンの外でも自分を出し切れるマインドセットこそが重要なのだ、と小松は言う。

「どんな小さなことでもいいから、毎日1回は自分のコンフォートゾーンから抜け出してほしい。私はそう伝えています」

そのための最高の環境が、実力主義でフィードバックが速いF1という場だ。小松はこんな身近な話を挙げてくれた。

「今まで一人でラーメン屋に入れなかった人が、ある日思い切って一人で入ってみる。それだけでも、自分のコンフォートゾーンから一歩踏み出したことになるんです。どんなに小さくてもいい。その積み重ねが人を成長させるのです」

「責任は取るから、直感で勝負してくれ」

この評価軸は、理念だけで終わらない。提携の一環として、トヨタの若手ドライバーがハースの旧型F1マシンで走行するテストが富士スピードウェイなどで行われている。そこで速さを見せたドライバーに対しても、小松は容赦なくハードルを上げてみせる。

2025年8月7日、富士スピードウェイでのテスト走行に参加した豊田章男会長(中央右)と小松代表(中央左)
写真提供=TGRハースF1
2025年8月7日、富士スピードウェイでのテスト走行に参加した豊田章男会長(中央右)と小松代表(中央左)

「坪井翔(*1)も昨年、富士スピードウェイでF1マシンに乗り、すぐに速さを見せました。しかし私は『それは当たり前だ』と伝えました。日頃から富士を走り込んでいるからです。『真価が問われるのは、(イギリスの)シルバーストンのような未知の環境に放り込まれた時に、同じパフォーマンスを発揮できるかどうかだ』と。結果として、坪井はシルバーストンでも見事に速さを証明してくれました」

ホームで結果を出すことと、アウェイでも通用することは別物――その物差しを崩さないところに、小松の「人を育てる」哲学が表れている。

そして、その胆力を小松自身が“代表”として体現した場面もある。2025年シーズン開幕から苦しんだチームが、日本グランプリで新パーツを投入した時のことだ。通常の検証プロセスを踏む時間はなく、直感で決めるしかない状況だった。

「何もしないという選択肢はあり得ませんでした。そのリスクは私が背負う。責任はとるから、君たちは自分を信じて、直感で勝負してくれ。そういう場面で上がリスクを背負うことが、現場に対する安全弁になります。『プロセスを飛ばして直感でやれ。でも失敗は許さないぞ』と言われたら、現場はどう動けばいいのか。責任を引き受けることこそ、上の役目です」

(*1)日本最高峰スーパーフォーミュラ、スーパーGTのチャンピオン・ドライバー。