ドアが開いた瞬間に「一発でわかった」

小松は面談の瞬間を、今も鮮明に覚えているという。東京の事務所のドアが開き、豊田会長が笑顔で迎えた、その一瞬。

「一発で、この人となら一緒にできるとわかった」と豊田会長との初会談を振り返る小松代表
撮影=プレジデントオンライン編集部
「一発で、この人となら一緒にできるとわかった」と豊田会長との初会談を振り返る小松代表

「もうなんか一発で『この人となら一緒にできる』っていうのが、その瞬間にわかったんですよ。その時の表情を今でも忘れません。顔つきや雰囲気、廊下の空気感まで、すべて鮮明に覚えています。面白いことに、言葉を交わす前の出来事です。あの笑顔と佇まい、要するにトップとしてのオーラです。それを直に感じた瞬間、それまで抱いていた『トヨタに対する反発心』が一瞬で吹き飛びました」

1時間ほどの面談で、二人は互いの大切にしていること、何を思って仕事をしているかを語り合った。そして終わった後、同席していたトヨタ側の担当者が漏らした一言が、この面談の異質さを物語っている。

「トヨタ側の担当者が『会長とお話しできてよかったですね。本当に楽しかったです』と仰ったんです。でも『会長と契約の話、一回もしていませんけどね』と笑い合いました」

契約の交渉に来たはずが、1時間、一度もビジネスの話が出なかった。それでも小松は「だが、それがいい」と振り返る。

和やかなだけの面談ではなかった。小松は初対面の会長に、これまで胸に溜め込んできた率直な疑問をぶつけている。日本の自動車メーカーが、F1への参戦と撤退を繰り返してきたことへの不満だった。

初対面で「いい加減にしてほしい」と直言

「ホンダにしてもトヨタにしても、参戦しては撤退する。その繰り返しです。『いい加減にしてほしい』と心底思っていましたので、その思いを直接伝えました。何のためにやっているのか。企業の利益のためだけなら、モータースポーツの文化など根付くわけがありません」

ホンダが1980年代に築いた伝説と、その後の撤退についても言及した。1980年代後半、アイルトン・セナらを擁したホンダのエンジンは年間16戦15勝を挙げるなど、F1を席巻していた。「あれほど素晴らしい土壌があったのに、あっさり辞めてしまう。それを文化として積み上げていかないことに、私は強い憤りを感じていたのです」。

トヨタは2002年から2009年まで、パナソニック・トヨタ・レーシングとしてF1に挑戦。2005年の第18戦日本GPでは、ラルフ・シューマッハーがポールポジションを獲得し、母国グランプリを大いに盛り上げた。だが結局、表彰台の中央に立つことなく、撤退を余儀なくされた。

だからこそ、小松は面と向かって尋ねた。「どういう思いでF1をやられているんですか」。今回の提携についてもまた、ある程度の利益が出なければ手を引くつもりなのか、と。小松が引き合いに出したのはフェラーリだ。

F1の創設以来75年以上、一度も撤退することなく参戦し続けている唯一のチームである。

「文化を作る、人を育てるというのは長期戦です。フェラーリのように、良い時も悪い時もずっとやり続けなければ、そんなものは作れません。そういう話をさせていただきました」

会長は気分を害することなく、正面から答えたという。「章男会長は、あの困難な時期に社長に就任されました」――2009年の就任直後、当時のリーマン・ショックの余波による経営状態を踏まえ撤退を決断せざるを得なかった苦渋の経緯と、若者の道を断ったという自責の念があるという。