母が命がけで見せた最期の行動
こうしてお市は北ノ庄で生涯を閉じたが、娘の3人は秀吉に引き渡された。三姉妹が城を出る様子を、『渓心院文』はこう記す。
お市の方は小谷城を退去したことを悔しく思っていたので、今回は残ると決心していたが、3人の娘だけは生かしたいと願っていた。
羽柴秀吉は信長から厚恩を受けていたから、悪いようにはしないだろうと、勝家から秀吉に交渉し、お市の方も自筆の書状をしたため、秀吉に依頼した。
3人の娘が乗った輿一丁を見送るため、お市の方が三の間に姿を見せると、秀吉の軍勢はぱっと開いて輿を通した。
これが事実だとしたら、とても劇的なシーンだ。「三の間」が城のどこに相当するかは不明だが、仮に「三の丸」を指すとすると、城の最外郭である。そこに城主の妻という要人が現れ、敵方に姿を晒すなど、通常はあり得ない。危険を犯してまで娘たちを見送った母の思いが、伝わってくるようだ。
茶々15歳、初14歳、江11歳(いずれも数え年)だった。
戦国の姫の生涯最後の意地か
三姉妹を城から逃す決定を、最終的に下したのは勝家だったろう。だがそこには当然、娘たちに何とか生き延びて欲しいという母としてのお市の願いもあり、かつ信雄でも三法師でもない、お市の血を引く織田の人材を残したいという、強い意思があったのではないかと思える。
それはまた、男たちの言いなりでしかなかった戦国の姫が、生涯最後に押し通そうとした意地だったかもしれない。
そう感じたのは、「豊臣兄弟!」でお市が小一郎に「おまえら(羽柴)に勝ち目はない」と、ラスボスのように毅然と言い放つシーンを観たせいだろう。現実にあった会話とは思えないが、実際のお市も心の底で、あのような燃えたぎる憤怒を抱えていたのではないだろうか。
幸いなことに勝家と三姉妹は血縁関係になく、養子縁組も結んでいなかったらしい。つまりお市と勝家は夫婦だが、娘3人は柴田と「運命をともにする筋合いにはなく」(黒田基樹氏)、城を出るのに差し支えはなかった。
三姉妹はその後、社会的には浅井長政とお市の娘と認知され、この両親の供養は茶々が執り行った。一方、勝家の供養はしていない。3人はあくまでも信長の妹・お市の娘、つまり織田の血を引く者として厚遇されていく。

