「火をつけた」発言に法務省が決定打
Netflixで独占配信中の恋愛リアリティー番組「ラヴ上等」シーズン2をめぐる騒動が、社会的な波紋を広げています。
「元ヤンキーや元暴走族総長といったバックグラウンドを持つ男女が学校で共同生活を送り、本気の恋や喧嘩を通じて互いに向き合う」というコンセプトの本作ですが、「人に火を付けた」という出演者による過去の加害行為の暴露や、入れ墨などを大々的に映し出すことに厳しい批判が寄せられました。
さらに、この番組に対して法務省が「更生保護の啓発」という名目でタイアップを行っていたという事実が、炎上状態まで事態を悪化させる決定打となっています。
今回の炎上劇の背景として、昭和期に通用していた「不良の武勇伝」に対する社会の目が劇的に変化しているという「時代性」を指摘しておかなければなりません。
かつては「やんちゃしていた人間が改心して成功を収める」「多少悪いくらいのほうが格好いい」といったストーリーラインは、一定のエンターテインメントとして世の中に広く受け入れられていました。
加害を武勇伝とするのは「更生」ではない
しかし、現在のコンプライアンス社会で最優先されるのは、被害者の人権と過去の加害事実そのものです。
社会が求める「更生の承認」とは、被害者への十分な贖罪と、地道に社会の一員として生きる姿勢を意味します。刺青や過去の違法行為を武勇伝のように誇示し、エンタメとして売り出す姿勢は、もはや「更生」ではなく「犯罪の美化・二次加害」と受け止められても無理はありません。
かつての評価や許容の背景には、被害者側の視点がエンタメの文脈にほとんど組み込まれていなかったという、当時の社会構造そのものの未成熟さもあったといえます。
今、それと同じトーンを現代で再現しようとしても、「悪いことをしたけれど更生した」という物語より、「元から悪いことなどしなかった」真面目さこそが評価される時代です。ましてや被害者が不在のまま語られる一方的な武勇伝は、厳しい批判を免れません。
そうした中で、法と正義を司る国家機関である法務省が、この時代の変化を著しく読み違えたことの責任は極めて重いと言えます。企画そのものの是非以前に、「いまの社会が何に対して“NO”を突きつけるのか」という感覚の欠如こそが、今回の炎上の根底にあるのではないでしょうか。

