被害者側の視点も考えられていたのか
派手なコンテンツに目を奪われがちですが、最も責任を問われるべきなのは、このタイアップを最終決定した法務省側の意思決定プロセスです。報道によれば、法務省保護局は「更生」というテーマの一致に着目し、タイアップに至ったとされています。
しかし番組全体がどのような文脈で展開され、視聴者や実際の被害者側がどのように受け止めるかという多角的な視点が、判断の過程で十分に検討されていたかはきわめて疑問です。「更生」という言葉の表面的な一致だけで表現全体を評価してしまうと、番組の演出手法や全体のトーンといった、実際に視聴者の印象を大きく左右する核心的な要素が見落とされてしまいます。
さらに火に油を注ぐ格好となったのが、炎上直後の初期対応です。プロデューサーのMEGUMIさんはインスタグラムのストーリーズを通じて「出演者への誹謗中傷はやめてほしい」と呼びかけましたが、世論の反発は静まるどころかむしろ強まる結果となりました。
過去の加害の歴史や被害者への配慮に先に触れることなく、出演者保護という自分たちの都合を前面に出した意見の発信が、事態の沈静化にはつながらないことは、容易に想像できたのではないでしょうか。
Netflixだけが得をする歪な構造
沈静化どころか、さらなる燃料投下になる可能性すら予見できていなかったのだとすれば、そのプロデュース能力自体にも疑問符がつきます。結果として法務省はポスター発表から約2週間でタイアップを中止すると発表しました。
炎上そのものが露出と関心を生み出し、それが収益へと変換される「アテンションエコノミー」の構造の中で、誰が得をし、誰が損をしたのかを整理していくと、そこに存在する「リスクの非対称性」が見えてきます。
Netflix側にとっても、今回の炎上が無条件でプラスに働いたとは言えません。しかし、批判を含めた圧倒的な話題性そのものが、配信プラットフォーム事業者にとって一定の商業的価値を持つことも事実です。
法的に致命傷とならない範囲であるならば、話題性はプラットフォームの利益へと還元され得るからです。批判の感情すらも再生数へとつながる構造の中では、炎上は必ずしも完全な損失とはなりません。
一方、法務省は「税金を使って、元ワルの武勇伝化にお墨付きを与えた」という批判を浴び、行政機関としての信用を大きく損なうことになりました。プロデューサーや出演者に関しても、自分たちの内輪の価値観しか見えていないような視野の狭さと、長期的なコンプライアンス意識の低さを露呈し、将来的なリスクを背負い込む結果となっています。

